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占いの歴史ー7

占いの歴史ー7

占いの歴史についてここまで述べて参りましたが、そもそも「占い」という言葉は、何時、どこから生まれたか? それを検証してみたいと思います。
そもそも、占いという文字そのものが、卜(ぼく)という亀の甲羅や鹿の骨を焼いたときに出きるひび割れと、その時に出る「ボクッ」という音から出来た象形文字で、そのひび割れの状態から判断した太占(ふとまに)という占いを口で伝えたことから、卜と口を重ねて占いという文字が出来たとも考えられています。
では、「うらない」という言葉はどこから来たかというと、語源は「裏合い(うらあい)」である、という説があります。その意味は、隠された裏の事象を知り、それと表の事象と照らし合わせて真実を知り将来に備えることかに由来するとの説です。
かつて占いは帝王の学問とも言われ、国家の政策を決める大切な行事の一つとして、平安時代には律令制のもと、卜占は神祇官の卜部氏が管轄し、その他の易占や占星術は陰陽寮の安倍家など陰陽師・宿曜師が管掌していた時代があります。
その後、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい・延喜21年1月11日[1]〈921年2月21日〉 – 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)の影響で、安倍家が明治時代初めまで陰陽寮を統括していました。
安倍清明を祀った神社は全国に数社ありますが、安倍清明の像は、京都市内の晴明神社にもあります。

占いの歴史ー6

占いの歴史ー6

 日本の歴史に現れる占術家のトップバッターは何といっても倭(わ)の国の女王・卑弥呼(ひみこ)です。
弥生時代後期の3世紀末、古代中国の西晋時代に編纂(へんさん)された史書「三国志」のうち,魏に関する部分を記した「魏書」内の「東夷伝」には、当時の日本である邪馬台(やまたい)国の記述があります。邪馬台国の女王卑弥呼は、鬼道(呪術=占術の原型)を駆使して衆人を畏怖させ従わせて国を治めたとされています。
ただし、これはあくまでも中国の史書に記載された記録ですからどこ間frが真実かはいまだに議論の的になっています。
日本古来の占いが史書に登場するのは、8世紀の奈良時代、神話を基に編纂(へんさん)された「古事記(712年)」や「日本書紀(720年)」に記載がある「布斗麻邇(ふとまに)」という卜占(ぼくせん)の一種です。その方法は、牡鹿の肩甲骨を、桜の木で焼き、そのひび割れ模様の状態で吉凶を占うもので、記紀の記述では、伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の夫婦が国土を築くために、良き後継者を得ることができるかどうかを天神(あまつかみ)に問うたところ、天香山(あまのかぐやま)の真男鹿(まおしか)の肩を内抜きて,天香山の天波波迦(あめのははか=うわみずざくらの古名)を取りて占合(うらない)をすべし、と教えたとあります。
この卜占(ぼくせん)の一種である「ふとまに」による占いでは、牡鹿の肩骨を上溝桜(うわみずざくら)の木皮で焼き、そのヒビ割れの形状が異常であれば、戦乱や疫病や天変地異の出来事や凶作に襲われるとされ、そのヒビ割れの形が良ければ稲作もよく穏やかな日々が訪れるとされたのです、
この鹿の骨を用いた「ふとまに」は、やがて、中国から渡来した亀の甲羅を用いての亀卜(きぼく)にとって代わられて、次第に消えてゆきました。
その亀朴もまた、葦(あし)の種類である「イ」を用いた周易の出現で姿を消してしまいます。

占いの歴史ー5

占いの歴史ー5

西洋占星術にも東洋の十干十二支同様に長い歴史があります。
その歴史をたどると、紀元前よりまだまだ昔に遡ることになります。
その理由は、人類は初めから空を眺めて天候や季節の移り変わりを感じていたのは確かですから、文字を発明する以前から、本能的に天体観測を覚えて天候や移動地区などを占っていたとかんがえられるからです。
したがって、占いの歴史を辿るのは人類の発展をみるのと同意語になりますし、その歴史をつぶさに調べるなどは不可能なことですから、
かなり大ざっぱにしか占星術の歴史は語れません。
天体観測の歴史は、大きく分けて6時代に区分されています。
1番目は、紀元前300年頃までのプロト占星術期、2番目は紀元前200年頃までの占星術形成期、3番目は、紀元前から紀元300年頃まで続く安定期、ここから徐々に衰退期に入ります。4番目は、1100年代から1500年代までの復興期で、この頃が最も盛んな時期だったとする説もあります。そこからまた徐々に衰退し、1600年頃から約2世紀の1800年代までが再び衰退期となって西洋占星術の冬の時代が続きます。
そして今、1900年代以降に続く第2復興期を迎えて、西洋占星術もまた隆盛となっていあす。
では、現代の占星術の基礎を築いた古代のプロト占星とはいかなるものだったか、その伝承に触れてみます。
 プロト占星術は、チグリス・ユーフラテス流域のメソポタミア南部を発祥のちとしていて、紀元前2000年以前から、天体の動き、すなわち星の動きは神々の意志を知るための予兆として考え他とみられています。その神々の意思とする初歩的な占いが、その後に続くシュメール文化に乗って徐々に占星術として発展してきたとされています。
その後、紀元前から始まる古代バビロニア文明では、星占い=オーメン(予兆)とする占いが盛んになり、占いの対象は自然界の全てのもの、鳥や動物、川や山、虹や雲、日の出と日没の状態など、ありとあらゆるものの動きや変化が、何らかの予兆を示しているとみなされたのです。
このオーメン占いは、過去の出来事と結び付けて考えられ、流星の多い年は洪水に注意とか、森の鳥が騒いだら部族間の争いが起きるとか、過去に起こった事例を基に次々と占例を増やしていったのです。
なかでも最も重要視されたオーメン占いは、部族の儀式のなかで生贄(いけにえ)にされる動物(人間の幼児も)の肝臓の動きや形状で、天災や部族の繁栄に関する予兆(オーメン)をしるというものでした。
その過去のオーメンの解釈が正しいかどうかは、過去の出来事の記録を粘土板に記録して代々伝えて、統計的にも的中する事象も起きています。それらの記録が現代にも引き継がれ、西洋占星術に発展したと考えて間違いはありません。
このオーメンの記録は、7000点以上も残されていて、ニネヴァの古文書館に保存されているとの記録があります。
こうしたオーメン占いを経たバビロニアの天文学者は、現代につながる12星座の基礎を作りました。

占いの歴史ー4

占いの歴史ー4

 前回は、生年月日で占う方術の歴史について述べましたが、江戸時代半ばに中国から伝来した「命学」「命理」などと呼ばれていた占いが、日本では「四柱推命」という名称で発展しました。一方、鬼門遁甲という諸葛亮孔明が軍略に用いた占いは形を変えて、平安時代初期に遣唐使として海を渡った修行僧・空海(後の弘法大師)が持ち帰った密教の中に宿曜星占いとして伝えられ、方位学を主とする日本独自の九星気学として発展し今日の隆盛をみています。
なお、いま開運道で用いている人相学は、中国に古来からある 麻衣相法(まいそうほう)という峨眉山の山奥に棲む麻の衣を着た仙人が、希夷陳博という弟子に伝えた相法をそのまま伝えていますが、日本では江戸時代のに水野南北という占の名人によって、南北相法に改良されて伝えられています。
麻衣仙人の伝えた有名な言葉に「「相は心によって生じ、心は相によって生ず」とあり、心が卑しい人は人相も卑しいから、自然のまま人を観て心に感じたのが正しい判断である、とし、人を観るに動物を当てはめることを示唆しています。
日と夫々の風貌や印象を、虎、狐、タヌキ、うさぎ、ねずみ、狼、馬などに分類して、その性情や性格を当てはめる手法です。それに加えて顔や体の形から判断する見方もあり、それらを学ぶと第一印象だけで的確に人を診ることが出来ます。
その他、東洋の運勢学は紀元前の周の時代から築かれた哲学的な傾向の強い易学が、孔子や孟子など多くの学者の編纂をお経て完成され、儒教の聖書とも帝王の学問ともされる五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の一つとして尊重され、今もなお君子の占いとして東洋の占術の最上位と認識されています。
このように占いは洋の東西をとわず人類の成長と併行して発展してきましたが、その発展は必ずしも順調とはいえません。時代の推移によって盛衰もまた必然だったのです。

占いの歴史ー3

占いの歴史ー3

 朝廷の補佐役として活躍した公職にある陰陽師は、政治の場においても貴族社会においても大きな力を発揮しますが、武家社会に変わって行くにつれて陰陽師の影響力は衰退します。それに替わって台頭するのが庶民出の民間の陰陽師です。
貴族社会に君臨した平安中期の陰陽(おんみょう)家で著名なのは、土御門家(つちみかどけ)家で、その一族からは有名な陰陽師が何代にもわたって排出されています。
なかでも文武(もんむ)天皇時代の右大臣阿倍御主人(あべのみうし・635―703)がよく知られています。
阿倍御主人は、672年の壬申の乱で大海人皇子(おうあまのおうじ・後の天武天皇)方の功臣でもあり、晩年には太政官の頂点の座にあった人物で、平安時代初期に創られた「竹取物語」に登場する右大臣のモデルです。
その子孫が前回登場の阿倍清明(あべのせいめい)です。
清明は、花山(かざん)天皇の譲位を予言するなど数々の伝説を持つ陰陽師で、現存する著書は「占事略決」1巻のみです。
その安倍清明が用いた占術を推測すると、中国の陰陽五行の思想に基づいた筮竹易占いや天文と干支を組み合せて占う「六任神課(りくじんしんか)」と「式占(しきせん)」という占いに加えて、地相や家相を観たのではないか、とされています。
当時はまだ四柱推命は日本にはなく、四柱推命が日本に入るのは江戸時代中期とされています。
その四柱推命の名も日本で命名された独自のもので、中国では「命学」または「命理」と呼ばれています。
この四柱推命も、他の東洋の占術同様に陰陽五行の思想に基づいて、生まれた年月日時の十干十二支から4つの柱を選び、それで人の命運を占うもので、中国では12世紀にすでに出来上がっていたのです。

占いの歴史ー2

占いの歴史ー2

人類はその発生から何らかの占いを用います。
古代日本にも当然ながら占はありました。
その一部は古代の中国から伝わって発展して独自の占いに変化したものです。
しかも古墳時代よりさらに古い大昔から勾玉(まがたな)占いや鹿の肩甲骨を焼いて占う”太占(フトマニ”という占いが行われていたことは各地の古代遺跡発掘調査の副産物として発見されています。
古い歴史に現れる卑弥呼(ひみこ)の時代には、卑弥呼自身が呪術(じゅじゅつ)家として占いを用いて国を収め、日本の古い歴史書である古事記や日本書紀にも占いに関する記述があちこちにあります。
大陸との交流が盛んになる5世紀から飛鳥時代までは遣隋使や遣唐使が様々な占いを持ち帰っています。中でも亀の甲羅を焼いて、そのひび割れや色の変化を占う亀卜(キボク)が盛んになり、政治的な意図もあって卜部(うらべ)」姓を名乗る占いを業とする集団も現れます。
さらに平安時代に入ると国策として天文や暦を扱う陰陽師(おんみょうじ)が政治の表舞台に登場し「陰陽寮」という占いの公的部門が設けられます。この陰陽寮は、明治時代になって廃止されますが、それまでは国の一機関として占が公的に用いられていた長い歴史があるのです。
とくに平安時代中期に出現した陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい=921―1005)は、天文博士であると同時に悪霊退治や難病治療などに力を発揮して帝や貴族社会、豪族の圧倒的人気を得て時代の寵児となり、陰陽道も全盛期を迎えます。
つづく
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占いの歴史ー1

占いの歴史ー1

 開運村ホームページは占いの宝庫です。
ホクロ占い、指紋占い、夢占いと何でもござれでしたが、うっかりして占いの歴史が抜けていました。
そこで、とって付けたように、ここで占いの歴史に触れてみたいと思います。
占いは人類が発生して以来、生きるために必要な予知能力や危機管理の一端として発展し、言葉や文字が創られた時には同時派生的に確立されていますので古くからあるのだけは間違いありません。
例えば、世界最古の文明といわれる古代メソポタミア文明では紀元前9千年前頃から、すでに天体観測によって星を読み天文知識による星占いが行われていたことが、紀元前3千年頃にシュメール文明を築いて農耕を始めていたシュメール人が世界で初め発明した楔形(けっけい)文字によって書かれた文書に記述があると聞きます。
ただし、これには異論もあって、紀元前3千年以上前の古代中国の殷(いん)王朝の時代にも、亀の甲羅や鹿の骨に彫られた十干十二支の原型になる象形文字が遺されていることから、文字の発生は洋の東西で競うとしても、占いの歴史としては、古代中国の12支より数千年早く12星座の原型を確立していた古代メソポタミア文明に軍配が上がります。
こうして生まれた最古の占星術では、星の動きや雲の流れ、雨や虹、落雷や竜巻を見て、天変地異や天候、他民族の動向や草食動物の動きなど、さまざまな予兆を知って、る、というようなかたちで占いが行われていました。また、シュメール文明のあとの古代バビロニアでも、こういった予兆に基づいた占いは盛んに行われ、星の動きばかりでなく虹や雲などの様々な自然現象、動物のふるまいなどからも未来の予兆を知ることができるとされていたようです。
 では、古代バビロニア文明が築いた12星座の原型が完成されたのは?
それは紀元前4世紀にギリシャ、ペルシャ、エジプトなどを征服してマケドニア帝国を築いたアレキサンダー大王の時代です。 この時代になると、天体の動きも正確に読み取った天文学と、それに哲学的思想を加味した占星術に枝分かれして、一方は気象天文学に、いっぽい+一方は不完全ながらホロスコープ(天体配置図)らしきものも生まれて西洋占星術として発展したのです。日本という国はまだ歴史には現れていない古代の話です。

 

2、カレンダーの活用法-5

2、カレンダーの活用法-5

六曜の使い方

 日本の暦(こよみ)は、西暦604年の推古天皇の時代から用いられています。その後、何度かの改革を経て、今では西洋から伝わった太陽暦が用いられるようになりました。しかし、太陽の動きを中心とした現在のカレンダーだけが科学的という訳ではありません。
江戸時代に完成した貞享暦(じょぅきようごよみ)は、日本で最初の月の運行を中心として観測した天象実測による科学的な暦はです。この暦の監修者任者の渋川春海は、各地の経緯度を実測しただけでなく、冬至点や春分点、星座や数多く星のうごきを克明に調査しました。春海は、そのための器材や計器も製作したのです。その渋川春海師は、優れた天文学者であると同時に、高名な易学者でもありました。
春海は、中国で三千年来の歴史がある旬日(十日)を表わす十干(甲乙など)と1年十二カ月を表わす十二支(子丑寅など)の陽干陽支(甲子、丙寅など)、陰干陰支(乙丑、丁卯など)の組合せて出来る六十組の干支を、暦や占いに用いて成功しました。
この60干支は、今でも歴史的考証や運勢学的な見方からの統計などに用いられています。
確かに「丙午(ひのえうま)の女は男運がない、などの迷信で西暦1996年(昭和41年)は出生率が大きく下がって社会問題になりましたが、60年後の次の丙午年である西暦2056年の出生率がきになるところです。
丙午の言い伝えが迷信だから、十干十二支は全て迷信だとしたら、東洋の占いは全滅です。四柱推命などは十干12支以外は何もないのですから占いになりません。
しかも、その丙午の迷信も占いから出ているのですからガッカリします。
丙は火の兄(え)の意味で争いに強いという意味があり、午も南二位置して火の気が強く、この二つが重なる年に生まれた女は気性が激しくていくら屈強な男でも敵わない、このような性格診断から先祖代々続く迷信が生れたのです。
開運道の占いは7項目(生年生月の九星と十干十二支と傾斜星)の総合判断ですからこのような心配はありません。
確かに、最近のカレンダーからは十干十二支も、大安や仏滅で知られる六曜と共に消えつつありますが残念なことです。
そこで提案です。
どうせ、いつかは滅びるとされる六曜(大安や仏滅など)であるなら、今の内に活用してみませんか?
用いるのは、恋愛、金運、仕事運、何でもOKです。
その結果がよければ、ご自分だけの秘密にして一生、これを活用できます。
実は、私はこのような手法を数多く用いてツキを呼び込んでいます。
毎日の六曜星はNETで「六曜星カレンダー」で検索するとすぐ出ます。
ここでもう一度、六曜について復習をしておきます。

先勝(せんしょう)は、先んずれば即ち勝つ、で朝から午前11時までが大吉、午後二時以降は凶、その他は注意です。
友引(ともびき)は、凶事も吉事も友を引く、の意味で、午前11時まで大吉、11~13時が注意、13時以降は大吉です。
先負(せんぶ、さきまけ)は、朝から午前11時までは凶、11時~13時は注意。13時以降は大吉、となります。
仏滅(ぶつめつ)は、大凶日とされますが、「空亡」「物滅」ともいい、動くと凶、何事も静かにしていてとなります。
大安(たいあん)は、泰安とも呼ばれ大いに安心してよい日、目出度いことや記念すべきことはこの日に限るとされます。
赤口(しゃっこう)は、「赤舌日」と呼ばれて午前11時から午後1時頃までが大吉、それ以外は凶とされます。

前にも申しましたが私の持論は「日に吉凶なし」です。
したがって、ここでは、どの日でも使い方次第で「吉日」になるのです。
これを利用して、愛情メールでも仕事でも大切なことは、出来る限り上記「大吉の時間帯を活用するのです。
これによって運気が上がったと感じたら、これを貫くことをお勧めします。
これも開運道式開運法の一つです。

謹賀新年 今年の運勢&2、カレンダーの活用法-4

  明けましておめでとうございます。
花見正樹です。
本年も宜しくお願いします。

2019年は「八白土星・己亥(つちのとい)」年、万人共通の吉方位「恵方・あき
のかた」は「東東北・東の北寄り)」です。
本年の「八白土星」は動かざる山を表わし、山の色が四季夫々へんかするように改革
改善も意味します。
したがって本年は、我慢強く努力して改革改善を成功させた人に幸運の女神が微笑み
ます。
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つぎに、2019年を幸せに過ごす風水の極意を三つ上げます。です。
1、仕事・対人運を良くかするには玄関をきれいに鏡を置くか絵を飾る。
2、愛情・家庭運を良くするにはキッチンをきれいに火伏札を貼る。
3、金運・財運を良くするにはバス・トイレをきれいにし証明を明るめにする。
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本年は12支でいうと亥(い)年で、亥年生まれは大吉、亥と相性のいい卯年と未年
生まれが「三合の吉」で大吉です。その12支を1月を丑月、2月を寅月というように
12ケ月を12支でみた生まれ月別の今年1年間の運勢です。
1月生まれ〇中吉
「仕事も趣味にも本気で打ち込む」
ツキのあるのは5月
ラッキ-アイテムは「文庫本」
ラッキ-カラーは「ブラウン」
金運◎大吉 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運△注意

2月生まれ○中吉
「仕事も大事だが健康第一で万全」
ツキのあるのは12月、
ラッキ-アイテムは「ミステリー」、
ラッキ-カラーは「メロングリーン」
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運□小吉 健康運△注意

3月生まれ□小吉
「積極行動が功を奏して結果よし」
ツキのあるのは12月
ラッキ-アイテムは「手帳」
ラッキーカラーは「グリーン」
金運□小吉 仕事運△注意 愛情運◎大吉 健康運◎大吉

4月生まれ◎大吉
「よき相棒に恵まれて公私共順調」
ツキのあるのは5月
ラッキ-アイテムは「料理雑誌」
ラッキ-カラーは「シルバー」
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

5月生まれ○中吉
「身内に喜び事が重なり自分にも」
ツキのあるのは10月
ラッキ-アイテムは「美容雑誌」、
ラッキ-カラーは「ローズ色」
金運〇中吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

6月生まれ△注意
「高望みせず安全策で地道に行動」
ツキのあるのは2月
ラッキ-アイテムは「筆記具」
ラッキーカラーは「レッド」
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運□小吉 健康情△注意

7月生まれ〇中吉
「小さな努力の積み重ねで大成功」
ツキのあるのは 8月
ラッキ-アイテムは「地図」、
ラッキーカラーは「クリーム色」
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉

8月生まれ◎大吉
「奉仕の精神で働いた結果が大吉」
ツキのあるのは1月
ラッキ-アイテムは「電子辞書」
ラッキ-カラーは「オレンジ色」
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

9月生まれ□小吉
「マスコミ情報を活用して益あり」
ツキのあるのは2月
ラッキ-アイテムは「辞典」、
ラッキ-カラーは「ゴールド」
金運△注意 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉

10月生まれ〇中吉
「公私共NET活用でプラス多し」
ツキのあるのは3月
ラッキ-アイテムは「楽譜」
ラッキ-カラーは「ブルー」
金運◎大吉 仕事運△注意 愛情運〇中吉 健康運□小吉

11月生まれ〇中吉
「何事も有言実行で信頼が深まる」
ツキのあるのは12月
ラッキ-アイテムは「時代小説」、
ラッキ-カラーは「グレー」
金運〇中吉 仕事運□小吉 愛情運◎大吉 健康運△注意
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12月生まれ◎大吉です。
「余裕が出来れば旅行の楽しみも」
ツキのあるのは 5月
ラッキ-アイテムは「週刊誌」、
ラッキ-カラーは「ホワイト」
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運〇中吉
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では、本年一年お元気でお過ごしください。

開運道主宰・花見正樹

 

 

 

 

2、カレンダーの活用法-4

 

あなたの生まれた日の曜日をつぎの式から求めて下さい。
この方式の考案者は、英国の数学者・ジョン・ホートン・コンウェイ氏、世界的に使われています。
まず、あなたの生年月日を西暦でみてください。
1、西暦の下二けたを取り出して偶数の場合は、そのまま2で割ります。
下二けたが奇数の場合は、11を加えて2で割ります。

2、1で得た余り数が偶数ならそのまま、奇数なら11を加えます。
そこで得た数を7で割り、余った数を下のA表でみます。
A表の左端一桁が余り数、右側の年代別曜日がDD(ドームズデイ)曜日です。

3、ここで得た曜日がB表の全ての数字にあてはまります。
この数字、およびこれに7の倍数を加えた数字が、2で得たDD曜日です。
その前後から曜日を数えれば目的の曜日が得られます。

4、例題です。
下記の生年月日から生れた非の曜日を求めてください。
1998年11月22日生まれ
98÷2=49、49+11=60、60÷7=8余り4。
A表から4=土曜日、B表からDD日・11月の土曜日は7、14、21日。
1998年11月22日は「日曜日」生まれ

1997年8月15日生まれ
97+11=108 108÷2=54 54÷7=7余り5
A表から5=金曜日、B表から8月は8日、15が金曜日です。
1997年8月15日は「金曜日」生まれです。

1993年5月3日
93+11=104 104÷2=52 52÷7=7余り3
A表から3=日曜日、B表から5月は9、2が日曜日と分ります。
1993年5月3日は「月曜日」です。

2018年4月21日
18÷2=9 9+11=20 20÷7=2余り6
A表から6=水曜日、B表から4月は4、11、18が水曜日と分ります。
2018年4月21日は「土曜日」です。

A表

余りDD数と曜日
1900年代 2000年代

0 水曜日 火曜日
1 火曜日 月曜日
2 月曜日 日曜日
3 日曜日 土曜日
4 土曜日 金曜日
5 金曜日 木曜日
6 木曜日 水曜日

B表

1月3日(うるう年は4日)
2月28日(うるう年も28日)
3月7日
4月4日
5月9日
6月6日
7月11日
8月8日
9月5日
10月10日
11月7日
12月12日

次に、再び、先週お知らせした誕生日毎の幸運日を知ってください。

月曜日生まれは、水、木曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
火曜日生まれは、木、金曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
水曜日生まれは、金、土曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
木曜日生まれは、土、日曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
金曜日生まれは、日、月曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
土曜日生まれは、月、火曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
日曜日生まれは、火、水曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
つづく

2、カレンダーの活用法-3

2、カレンダーの活用法-3

 前回までは誰にでも当てはまる一般的なカレンダーの活用法を述べました。
今回は、ツキのある日は一人一人違うということに気付いて頂くための「好きな曜日探し」です。
多くの人は「好きな曜日は?」と聞くと、週末か休日、すなわち金、土、日曜日に好きな曜日が集中しています。
その他に、曜日に関係なく「祝日が好き」という人もいます。
理由は様々で、「仕事がないから」「友人と遊べるから」「家族と過ごせるから」「のんびりするから」「デートに時間が割けるから」「趣味を楽しめるから」「ゆっくり眠れるから」など切りがありません。全くその通りです。
たしかに週末の数日間は、ストレス解消に役立ち、月曜日から働くためのエネルギー充電期間とも考えられます。
しかし、好きな曜日が週末だとすると、平日は苦手、楽しくない、イヤイヤ過ごしている場合もあり得ます。これでは、あまりにも非建設的で前向きで向上心を高めて人生の成功者仲間入りの道から遠のいてしまいます。そこで壱日だけでも好きな曜日をつくることをお勧めし、場合によっては壱週間、どの日も好きになれるかもしれない、そんなお0とを考えました。
となると、「仕事は嫌いい」「職場が嫌い」「職場の人間関係が嫌い」という人も少なくないはずです。
そこで、無理に「週末より好きな曜日」を探すのはやめて、週末は別として、平日での好きな曜日探しに切り替えます。
統計的にみて、誰でも、一カ月に4日ぐらいはツイている日、モテる日があって、どうもそれが同じ曜日に集中している傾向があるのです。私の場合はそれが火曜日で、棚ボタ的なツキのある日が過去に何度も火曜日に訪れています。
私の場合は日記を付けていますので、いい日わるい日がはっきりしていて面白いほど曜日にそれらが重なります。
そこで、もう一度表題に戻ります。今度はまじめに考えてください。
「あなたにとってツキのある曜日は?」
多分、はっきり解答できる人は少ないと思いますが、好きな曜日がツキのある曜日と考えて、逆に、あなたのツキのある曜日を計算で出して、今日からその曜日を自分の幸運日にすればいいのです。
今回は誰でも知っているドイツ生まれの科学的生体リズムの「感情バイオリズム」を用います。
是ですと、二十八日周期ですから、七曜×4回が1サイクルということになります。
これを利用することで、4週間のリズムを摑めば、ある曜日になると感情が安定して、何事にも落ち着いて対応できますから、これを幸運日とき決めてツキを呼び込み、その反対の感情不安定日には、じっくりと腰を据えてミスを防ぐことが出来るのです。
例えば生まれ日が月曜日だったとしますと、感情リズムは、月曜日そのものは、◎絶好調安定日(出生から七日目)、▲転換注意日(十四日目)、□低調安定日(二十一日目)、▲転換注意日(二十八日目)と一巡し、振り出しに戻って◎絶好調安定日(三十五日目)となりますが、どの月曜が◎絶好調だったかをイチイチ調べるのは面倒ですから、◎絶好調の次の〇感情安定好調日〇で妥協して、次のような図式が出来ます。
その理由は、感情リズムが高調期から低調期(その逆も)に移る時に遭遇する危険日が、この日は全くないからです。
しかも、この図は年齢を経ても年月を重ねてもそのリズムは変りませんので、自分の感情の安定好調日=幸運日として用いることが出来るのです。
その感情安定日は理論上、つぎのようになります。
月曜日生まれは、水、木曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
火曜日生まれは、木、金曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
水曜日生まれは、金、土曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
木曜日生まれは、土、日曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
金曜日生まれは、日、月曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
土曜日生まれは、月、火曜日が感情安定好調日=幸運日となります。
日曜日生まれは、火、水曜日が感情安定好調日=幸運日となります。

次週は、あなたの生まれた曜日を簡単な計算で知ることが出来る方法をお知らせします。