占いの歴史ー23
四柱推命-1
はじめに
四柱推命はその名の通り、四っつの柱から成る運命学です。
生年、生月、生日、生時の夫々に干支を加えたものを四柱とし、それを駆使して人の性格や運命などを推測出生時間が不明の場合は四柱推命ではなく、便宜的に三柱推命として用いるべきで、正当な四柱推命には必ず、年月日時絶対条件とします。日本では、出生届けに出明記されるようになったのは昭和20年代からでの人多くは生まれた時間を知らないのです。
これからの時代は、生まれた時間が分かりますので、宿命を知る占いの代表として四柱推命の需要はますます高まるもの
とおもわれます。
なお、四柱推命とは日本製の呼称であって、中国には四柱推命という呼び名はありません。ことが
ともあれ、人間が生まれた年、月、日、時からみて、この世に生きる環境や人それぞれの先天的な宿命をみることが四柱推命の最大の特徴です。
ともあれ、生年、月、日、時の四種をもって四柱とし、それに十干十二支をあてはめて、その五行の相生(そうしょう)や相剋(そうこく)を、各種の 宿命星に振り分けて照合し、理をもって鑑定するのが四柱推命学です。
古代中国に発生したこの運命学の起源が、どの辺にあるかは諸説があって明らかではありませんが、この四柱推命で用いる十干十二支は、3千数百年以上も昔の殷の時代から象形文字となって亀の甲羅や動物の骨に刻まれて日暦として用いられていたとする説は有力です。
それが、運命学として用いられるようになったのは、明確な歴史的事実ではなく言い伝えではありますが、戦国時代(紀元前403られていた年~220年 頃)に生きた鬼谷子(きこくし)という人からと言われています。
それ以来、高僧や王家の協力を得て幾代にもわたっての研究が進み、今日の四柱推命が完成されたとされています。
その成果とも言えるのが淵海子平(えんかいしへい)という題名の徐升(じょしょう)の著書ですが、日本では著書と著作者の名を重ねて、この四柱推命を「徐子平(じょしへい)」と呼ぶこともあります。