占いの歴史ー7
占いの歴史についてここまで述べて参りましたが、そもそも「占い」という言葉は、何時、どこから生まれたか? それを検証してみたいと思います。
そもそも、占いという文字そのものが、卜(ぼく)という亀の甲羅や鹿の骨を焼いたときに出きるひび割れと、その時に出る「ボクッ」という音から出来た象形文字で、そのひび割れの状態から判断した太占(ふとまに)という占いを口で伝えたことから、卜と口を重ねて占いという文字が出来たとも考えられています。
では、「うらない」という言葉はどこから来たかというと、語源は「裏合い(うらあい)」である、という説があります。その意味は、隠された裏の事象を知り、それと表の事象と照らし合わせて真実を知り将来に備えることかに由来するとの説です。
かつて占いは帝王の学問とも言われ、国家の政策を決める大切な行事の一つとして、平安時代には律令制のもと、卜占は神祇官の卜部氏が管轄し、その他の易占や占星術は陰陽寮の安倍家など陰陽師・宿曜師が管掌していた時代があります。
その後、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい・延喜21年1月11日[1]〈921年2月21日〉 – 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)の影響で、安倍家が明治時代初めまで陰陽寮を統括していました。
安倍清明を祀った神社は全国に数社ありますが、安倍清明の像は、京都市内の晴明神社にもあります。