占いの歴史ー4
前回は、生年月日で占う方術の歴史について述べましたが、江戸時代半ばに中国から伝来した「命学」「命理」などと呼ばれていた占いが、日本では「四柱推命」という名称で発展しました。一方、鬼門遁甲という諸葛亮孔明が軍略に用いた占いは形を変えて、平安時代初期に遣唐使として海を渡った修行僧・空海(後の弘法大師)が持ち帰った密教の中に宿曜星占いとして伝えられ、方位学を主とする日本独自の九星気学として発展し今日の隆盛をみています。
なお、いま開運道で用いている人相学は、中国に古来からある 麻衣相法(まいそうほう)という峨眉山の山奥に棲む麻の衣を着た仙人が、希夷陳博という弟子に伝えた相法をそのまま伝えていますが、日本では江戸時代のに水野南北という占の名人によって、南北相法に改良されて伝えられています。
麻衣仙人の伝えた有名な言葉に「「相は心によって生じ、心は相によって生ず」とあり、心が卑しい人は人相も卑しいから、自然のまま人を観て心に感じたのが正しい判断である、とし、人を観るに動物を当てはめることを示唆しています。
日と夫々の風貌や印象を、虎、狐、タヌキ、うさぎ、ねずみ、狼、馬などに分類して、その性情や性格を当てはめる手法です。それに加えて顔や体の形から判断する見方もあり、それらを学ぶと第一印象だけで的確に人を診ることが出来ます。
その他、東洋の運勢学は紀元前の周の時代から築かれた哲学的な傾向の強い易学が、孔子や孟子など多くの学者の編纂をお経て完成され、儒教の聖書とも帝王の学問ともされる五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の一つとして尊重され、今もなお君子の占いとして東洋の占術の最上位と認識されています。
このように占いは洋の東西をとわず人類の成長と併行して発展してきましたが、その発展は必ずしも順調とはいえません。時代の推移によって盛衰もまた必然だったのです。