葛地焼 地元紙で知る 秋の朝

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

葛地焼 地元紙で知る 秋の朝    二目
(2016/10/02)
 明治維新の頃、京都から横浜に窯を移した宮川香山の陶芸展が増上寺宝物展示室で。仕事場が川崎に変わり、神奈川新聞を読むようになつて、真葛焼を知った。かつては京都・真葛ケ原 (まくずがはら=現在の円山公園付近)に窯を構えていたという。

金木犀 薫り感じぬ 人ありと     二目
(2016/10/02)
花粉症治療の後遺症で臭覚が正常に機能しない人がいる。ここ数日、金木犀の薫りにあちこちで出会う。昨日は会社のゴルフコンペを、八王子市の武蔵野ゴ~フクラブで。金木犀が花を着け、薫りを感じながらクラブをる。スコアはさっばりだったが。

柿を買う ゴ帰りに 木更津で
(2016/10/05)
木更津駅前に果物など地元の産物を売る素朴な店がある。そのあたりの家の庭の木からもいできたような柿の実が、ごろんと並べられていた。夷隅郡のゴ~フ場帰りに。

秋天の 五輪パレード 席求め
(2016/10/07)
朝八時過ぎに自転車で銀座通りへ。警察官が多くて、走りにくかった。今日は、11時からリオ五輪・パラリンピックの記念パレード。早々と、車道との境に設けられた柵の一番前に陣取っている若い女性たち。

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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-3
=「味の手帖」一七年六月号

高尾 義彦

「なだ万」で賄いご飯として供されていた、とこれも門前仲町の和風の店「久寿乃菓」の女将さんに教わり、若い人たちに広めている。
スダチ以外にも徳島は海産物、農作物に恵まれたところで、個人的な好みであげても、鳴門の鯛、ビールのつまみになる干しエビや、魚のすり身を竹に巻きつけて焼いた竹輪、B級グルメとして売り出し中のフィッシュ・カツ、ぼうぜ(エボダイ) の押し寿司など数知れない。京都や大阪で人気の鰻は、その半ば以上が徳島産で、高級和菓子に使用される和三盆も、香川と並んで徳島が大産地だ。

そこかしこ 酢橘の緑 着地して

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

(2016/09/07)
 毎年九月初めに、徳島・神山の酢橘をお世話になった方々に贈る。自分のイメージは酢橘爆弾。迷惑している人も、と思いつつ。社内でも一〇個ずつ小袋に分けてみんなに。「緑の宝石」と呼んでくれる人も。 +

 

羽衣は 墨と戯れ 風は秋
(2016/09/02)
書家金子祥代さんがFBで「天のはごろも」の動画を配信。空中に文字を書くような、天女が踊るような。彼女らしい挑戦なのだろうか。二人で完成させたインタビュー記事が掲載されるはずだった雑誌「PAN」の発行は大幅遅れ 最終的に発行されず)。

ポッリぽつり 出席にマル 秋の会
(2016/09/06)
母校・徳島県立川島高校の同窓会「東京至誠会」。二五日に銀座ライオンで開く総会へ出欠回答が日々、到着。往復葉書五〇〇通、メール連絡約一〇〇人。うち出席は一割? 毎日、読売新聞にミニ案内。

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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-2
=「味の手帖」一七年六月号

高尾 義彦

故郷の先輩で専門紙「文化通信」社長だつた近藤晃治さんは生前、「松茸はありません」と断り書きをつけて、スダチを知人に贈っていた。主役ではないが、スダチがバイプレーヤーとして貴重な存在になつていることは、食通なら、知る人ぞ知る。
スダチといえば秋刀魚、秋刀魚といえば、目黒のさんま祭りが有名だが、この祭りでは毎年、スダチ・カボス戦争が取り沙汰される。
  同じさんま祭りといっても二つあって、ややこしい。一つが目黒駅前商店街振興組合(品川区)が主催する「目黒のさんま祭り」。昨年の例だと、岩手県宮古市の秋刀魚七千尾と神山のスダチ一万個が提供され、煙をもうもうと立てて焼いたサンマを楽しむ光景が毎年、テレビなどで報道される。
もう一つが目黒区が主体となって開催する「目黒区民まっり」。こちらは宮城県気仙沼市の秋1魚と大分県臼杵市のカボスの組み合わせで、互いに対抗心を発揮する。 私自身の体験でも、スダチをお贈りしたのに,
「カボスを有難う」との礼に、訂正をお願いすることが何年か続いた。神山町と臼杵市と、それぞれの応援団のライバル心は相当なもの。よく出入りする江東区・門前仲町の居酒屋「笑福」で、カボスのポスターを見かけると、「ん?」と微妙な気持ちになる。この店では、高校同窓会の二次会を開かせてもらい、せっせとスダチの宣伝をしている。
東京で人気がある阿波踊りの会場として、高円寺が有名だが、昨年はこのイベントに合わせて初めて、ピー~メーカーとタイアップ
した「神山スダチピー~」が登場した。積極的にPRを、と応援したい気持ちが募る。
スダチの魅力を生かす食べ方に「スダチご飯」がある。作り方はいたって簡単で、温かいご飯に削った鰹節を乗せ、醤油をかける。
これだけなら、「猫まんま」だが、これに半分に切ったスダチを搾ってたっぷりとかける。
さわやかな味わいは、お酒の後にぴったり。

ひたすらに 葡萄の種を 選り出して

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

  ひたすらに 葡萄の種を 選り出して
(2014/09/05)
朝のデザートに、桃を食べ梨を食べ、最後に葡萄を二〇粒ほど。いまある葡萄を食べ切らないうちに、岡山の友人、高橋敬さん夫妻
から立派なマスカットが贈られてきた。自宅用に注文した酢橘も届き豊かな秋。
重陽に 昭和の記録 高みょり
(2014/09/09)
「昭和天皇実録」が公開され、戦前の天皇像と、戦後政治に「象徴天皇」が果たした役割が明らかに。個人的には昭和天皇逝去直前、日々、皇居や東宮御所を取材する記者の配置を決め、弁当を手配した当時を思い出す。

スーパームーン 携帯画像で 受けとめて
(2014/09/10)
昨夜は満月が最も大きく見えるスーパームーン。友人がメールで写真を送ってくれた。帰りが自転車だと、自然と空を見上げるが、昨夜は呑み会で自粛。満月を見逃した。俳句もたしなむ風流な友人に感謝。

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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-1
=「味の手帖」一七年六月号

高尾 義彦

 徳島名産のスダチ(酢橘) は、九月になると、露地ものが本格的に出回る。お世話になっている方々に、一キロ入りの箱で故郷の味をお届けするのが、十数年来の習わしになつている。東京に住んでいると、いつもこの季節が待ち遠しく、「緑の宝石」と冬つけて喜んでくれる人もいて、スダチの国の出身でよかつたと実感する。
配送をお願いするのは徳島県北東部、鮎喰川上流に位置する神山町の「すだちの里 神山」(「鬼籠野=おらの=ふるさと会」内)だ。
神山町は最近、IT企業を中心に東京などからサテライト・オフィスの進出が注目されている。都市部からの移住者も増えて、新たな顔を見せつつあるが、もともと山間部にあり寒暖の差が激しく、香りのよい高品質のスダチが収穫できる。
スダチ生産日本一の神山町 スダチの生産高は全国で六千トン前後だが、九八%は徳島で生産され、神山町はその四分の一を占めて全国一を誇る。昨年は本格的な生産から六〇周年を迎え、歴史や農家の活動などを紹介する4K映像の映画が製作された。
スダチの実を扁扁摘む作業は、針のようなトゲで指を傷つける危険と隣り合わせの厳しい労働。高齢者がこの仕事を支えているのが現状だが、若い学生が実習で参加するケースもあり、後継者の育成が望まれる。徳島県では、ゆるキャラのマスコットとして「すだちくん」を採用、さまざまなイベントで、なくてはならない存在になつている。
スダチは搾って松茸や秋刀魚などの焼き魚にかけたり、鍋料理、刺身、湯豆腐や冷奴などに香りと繊細な味を添えて、万能の力を発
揮する。「スダチ焼酎」も定着している。夏場は冷たいそうめんに欠かせず、輪切りにしたスダチを蕎麦が見えないほどにたつぷり乗せ
たスダチ蕎麦は、東京でもいくつかの店で味わうことが出来る。

風の盆 話題にすれど いまだ見ず

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦
風の盆 話題にすれど いまだ見ず
(2014/09/02)
 富山市八尾は三日まで静かな踊りの波が町を覆う。二〇数年前に浦和のある女性が、眼をきらきら輝かせて八尾体験を話してくれた
時に、初めて風の盆を知った。カラオケで菅原洋一さんの「風の盆」を歌ったりする。

蚊も蝿も ー茶てあれば 友なるを
(2014/09/03)
デング熱の患者が急増している。代々木公園の蚊が媒介した、と。アフリカでは死に至る恐怖に慄く事態に。田舎で育ち、蝿や蚊は
生をともにする存在だつたが、いまや、そんなことは言っていられない。

新米を 喉で味わう 寿司十貫
(2014/09/04)
昼食の相手がいない時は少し足を伸ばしてお気に入りの寿司屋さんへ。舌だけでなく、喉の奥まで旨みを味わう。昨日は、三か月に
一度の歯のチェックに日本歯科大病院へ。一目三度の歯磨きの成果を誉められ、美味しい食事に、継続は力。

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やさしさを形に
・杉本準一郎さんの個展に寄せて
∥「人生八管」一五年
正月・創刊号

 東日本大震災から一年が経った-22012年3月11日、杉本さんの車で、滋賀県湖南市にある国宝・善水寺に案内してもらつた。ここで杉本さんは地元で生産されるサクラ御影などを用い、住民の手も借りて、連帯して作品を磨いていた。その年の四月から[CORRESPONDENCE」と名づけた彫刻展を、境内を舞台に展開する準備段階だった。
手のひらに包まれたような「始まりの形」や花崗岩で出来た「海を行く」などの作品。
天台宗の寺で、悠久のアジアの知恵や深い思想を感じっつ、杉本さんは「生涯で一等の興奮の時間。すっかり本物のアジア人に」と述懐する。インドやネパールの体験を熱っぽく語る。すべての作品の底流に、その思いが流れ、それはアジアの悠久の時間の流れと感覚を共有しているように受け止められた。
上野の東京都美術館で二〇一四年二月に開かれた「現代日本彫刻作家展」では、緑の石材を使った造形が、会場の床に横たわつていた。思わず触れてみたくなるようなやさしさ、あたたかさ、なめらかさ。作品に触れてもいい彫刻展は割に少ないが、杉本さんの作品は、見るだけでなく触れてみて、肌合いに共感できる特徴も備えている。
今回の個展では、「青石」を使った作品が出品されると聞いて、ふるさと徳島との縁に驚いた。「大谷通れば石ばかり」と阿波踊りの嚇子言葉に出てくるのが「阿波の青石」。徳島城址公園の庭石などで見慣れた石材だ。割れやすい、などの欠点もあると聞くが、徳島特産の藍にも通じる色のこの石から、杉本さんがどんな やさしさ」を表現してくれるか。

汗流し 千三百段 昇り降り

汗流し 千三百段 昇り降り
(2016/08/03)
ついでに金刀比羅宮。奥社まで一二六八段を往復してシャツは汗でびっしょり。資生堂経営のカフェ「神椿」でかき氷を。隣県生ま
れだけれど初の参拝。

オリーブ 実る季節や 瀬戸の島
(2016/08/03)
豊島も小豆島も、オリーブが緑の果実をふくらませていた。巨大な卵のような豊島美術館で、豊島住民会議が売り出したオリーブ油
をお土産に。オリーブ園には加藤登紀子さんや小池百合子さんの植樹も。

夕涼み 昔もいまも 隅田川
(2016/08/05)
自転車の帰り道、隅田川沿いで何組かの家族が、テーブルに食べ物を広げ、夕涼み。お捜さんたちが、子供を遊ばせながらおしゃべ
り。東京の真ん中の田舎。

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やさしさを形に
・杉本準一郎さんの個展に寄せて
∥「人生八管」一五年
正月・創刊号

 [自然や人間のやさしさ」を、どのようにして彫刻の形に造りあげ、創造物を生み出すか。作品を見ていると、その一点に向かって
全身でぶつかる求道の彫刻家像が連想される。
作品に初めて接したのは、岐阜県・関ケ原製作所で二〇〇八年に開かれた 「せきがはら人間村・サマーシンポジウム」 のために製作された野外彫刻群に出合った時だった。伊吹山系を背景に、ガンジスの悠久の流れと高遠なヒマラヤの山々をイメージした白い大理石
の彫刻群が広がり、かつての古戦場の自然と調和しっつ、新たな様相を楽しませてくれた。
この時の作品製作には、インドやネパールの彫刻家が参加し、その縁をつないだのが杉本さんだった。インドやネパールの人々との
親密な交流が、作品の個性を作り出した、といっても過言ではない。後に、東京のインド大使館で開催された個展でも、木彫を中心に、
ときに女性の身体を思わせるような、やさしい曲線が特徴的な作品を見ることが出来た。
ほのぼのとした印象が心に残り、人間を見る目を少し変化させられるような作品だった。

パリ祭の 永さん偲ぶ 車椅子

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

パリ祭の 永さん偲ぶ 車椅子
(2016/08/02)
二日
永六輔さんが亡くなつた。ここ数年、七月にはNHKホールのパリ祭を楽しんできた。パリ祭の生みの親の一人だが、晩年は車椅子での登場が多かつた。石井好子さん、芦野宏さん、戸川昌子さんに続き、彼岸に。
朝顔もほおずきすももう過ぎて

釣り人も 陰を求めて 糸を垂れ
(2016/08/10)
ハゼ釣りか。隅田川から住吉神社裏側に引き込まれた運河で、竿を構える人たち。釣り人たちの後ろを、参院選投票所に向かう人た
ち。安部政権に対する審判は?

朝顔もほおずき市も もう過ぎて
(2016/08/13)
下谷の朝顔市、浅草寺のほおずき市。下町の夏の風物詩も今年は気づいた時には終わつていた。かつて門前仲町の和風の店「久寿乃
菓」では、朝顔の鉢植えが毎年、客から届けられた。「朝顔の宅配便を待つ女」。

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やさしさを形に
・杉本準一郎さんの個展に寄せて
∥「人生八管」一五年
正月・創刊号
縁あ信楽生愛知県知多市在住彫刻家杉本準一郎さん(六六)と知り合つた。人と人を結ぶ縁はお酒の席で生まれるという、我が交友録の二貝を記しておきたい。
岐阜県・関ケ原で関ケ原製作所を経営する矢橋昭三郎社長は、上京するたびに、門前仲町の和風の店「久寿乃菓」を訪れ、静かに酒を呑む。大型工作機械を製造する会社の広い敷地を利用して、「にんげん村」の名称で芸術・文化活動を展開し、経営者というより文化人的な風情。その矢橋社長を、女将さんの河俣くに子さんに紹介されて関ケ原を訪ね、そこで杉本さんの彫刻を知った。杉本さんは二〇妄竺月二七日から二月一日まで京都・三条の「ギャラリーモーニング」で個展273を開く。パンフレットに何か文章を寄せてほしい、と依頼され、以下の文章を送った。

セミが鳴く 特捜の名を 久々に

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

甘酒は 八海山に 義理立てて
(2018/07/04)
映画「空飛ぶタイヤ」を見た目本橋コレドに、新潟・八海醸造の店があり、甘酒を買う。蔵元を訪ねた一〇年以上
前から、ずっと季刊誌『魚沼へ』が送られてくる。

セミが鳴く 特捜の名を 久々に
(2018/07/05)
文部科学省局長の情けない汚職。財務省の文書改窟や官僚の偽証に、おとがめなしでは国民は納得しない。

素麺に 紫蘇の葉添えて 涼をよぶ
(2018/07/05)
夏の昼食は時々、冷たい素麺。紫蘇は知り合いが自宅の庭で育てた。何年か前、京都を旅行し三千院や寂光院を見
物した際、大原あたりで紫蘇を栽培する畑が目についた。

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お江戸下町落語事情-5
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

五階建てのビルのオーナーで、日本舞踊など多彩な趣味を持つ小林由美子さんが随時企画している「サロン・ポリフォニー」。ビル四階のスペースを利用して多様な文化的催しを、と始めた。連れ合いの友人から紹介された。
 ここも高座は即席で、三十人ほどの椅子席が並べられ、家族的な雰囲気。やってくるのは真打の二代目桂伸治さん。もう三回ほど噺を聞いたが、実は先代の桂伸治さんは大学時代に利用していた西武池袋線の車内でよくお見かけし、なんとなく親近感があつた。いまも桂伸治さんは東久留米が住まいで、話の合間に、ローカルな話題も散りばめられる。
演題ふたつが終わると、同席の落語研究家が簡単に解説し、参加者との一間一答などで落語の知識を深めることも出来る。「真打の語源は?」 などの質問が出たり、サイン入りの団扇が抽選で当たつたり、また次の機会も聴きにこようか、という気分にさせてくれる。
ちなみにこのサロンでは、ジャズの世界で有名なサックス奏者、坂田明さんの「ミジンコの話」を聞いたのも印象的だった。ポリフォニーの命名通り、いろんな文化を提供する場を、という小林さんの意図は、下町の人々に受け入れられているようで、中で落語が重要な役割を果たしているのも嬉しい。
最後に、私の下町暮らしを語るにあたって避けて通れないのが門前仲町。北海道・士別出身の草野笑子さんが差配する居酒屋「笑福」がある。書評の巨人、故・草森紳一さんも常連客だつた店で、かつて二階の座敷で定期的に落語の会を開いていた。三遊亭園龍さんらが出演していたといい、記念の単行本 「ばつてら深川『笑福』女将が綴る半生記」 に、その思い出が記されている。
笑う門には福来たる。おあとがよろしいようで。

クラス会 額紫陽花が咲いている

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

クラス会 額紫陽花が咲いている
(2018/07/02)
 東京五輪の年に入学した大学のクラス会。古稀を過ぎても気持ちは入学当時と変わらないような。みんなが俳句か川柳を作り、出来栄えを競い、近況報告。

バングラの 悲惨痛恨夏暑く
(2018/07/03)
ラデシュの渡連正人・大使夫妻は連れ合いの友人。遊びに来て、と誘われた地で日本人七人が犠牲になるテロ事件。夫人は母親の見舞いで心時帰国していたが、急速、現地に。世界に安全な場所はなくなつた。

ァヴェマリア 暑さ忘れてヴァイオリン
(2018/07/03)
前橋汀子さんの定期コンサート。サントリーホールを埋めたフアンは彼女の演奏に、この夏最高の暑さをしばし忘れた。前橋さんは毎年、三千円の入場料で音楽フアンの拡大を図る。前半は緑、後半は紅いドレス。

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お江戸下町落語事情-4
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

 小松さんは、その後、骨董の店を閉めて、勝開橋近くのマンションに住み、時折、自宅で「なずな美術サロン」を開くようになつた。
今年二月には、このサロンに「歌も女」改め「日るね」となつた「いまが旬。受けてる落語家」や漫談家を招いて、仲間うちの寄席を催してくれ、喜んで参加した。
日るねさんは、四日市南高校卒、玉川大学文学部芸術学科中退。二〇〇八年三月に「三遊亭歌る多」に入門、園歌師匠のもとで苦労を重ねた。固歌師匠は、歌奴と名乗っていたころ、「山のアナ、アナ」 の落語で一世を風摩したことを覚えている向きも多いのではないだろうか。日るねさんはフェイスブックを活用して、正式の寄席のほか、「落語カフェ」での高座日程などをPR。師匠からフェイスブックは禁じられている、とつぶやきながら、さわやかな色気の香る写真も交えて活動報告を続けている。
「落語を歩く 鑑賞三十一話」(矢野誠一著、河出文庫)に収められた落語「佃祭」に次のような記載がある。「佃 島の歴史は、寛永中にさかのぼる。御膳御用直参の漁夫として、白魚の漁を行わせるため、摂津国西成郡佃村
から三十四人の漁師を住まわせたのがこの島の起こり」。寛永では徳川家光の時代になるが、言い伝えでは家康が江戸開府に当たつて摂津の漁師を住吉神社とともに入封したとされ、落語の舞台にもなっている。
もうひとつ、落語との縁を紹介したい。隅田川を渡った向こう側の日本橋人形町の一画にも、時折、案内をいただく即席寄席がある。

梅雨ならば コロポックルの蕗の葉を

梅雨ならば コロポックルの蕗の葉を
(2014/07/02)
 秋田魁新報社140周年祝賀パーティー。「こまち」で秋田へ。梅雨はお休みか、秋田も厳しい陽射し。秋田県立美術館で藤田嗣治の大壁画 「秋田の行事」 や、妻マドレーヌをモデルに猫と横たわる乳白色の裸婦の絵を見る。往復八時間、緑の中の旅。

濡れ鼠 夜道をチャリで駆ける梅雨
(2014/07/03)
夕方から降り始めた雨は、酒の席が終わって帰宅する頃、やや真面目な雨に。門前仲町から佃まで、急げば五分足らず。眼鏡にも雨が当たるが、風は気持ちよく、梅雨を恨む気にはならない。

再稼働 夏を迎えてチラホラと
(2014/07/05)
九州電力川内原発1、2号機について、原子力力規制委員会の安全審査結果が近くまとまり、再稼働の可能性が出てきた、と毎日新聞などが報じた。夏場の供給能力が危ぶまれる関西と九州。しかし、福島の現状をみれば安易な再稼働は疑問。

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お江戸下町落語事情-3
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

吉坊さんは名前のごとく童顔の面影が残る噺家さんだが、「桂吉坊がきく 聾」 (ちくま文庫) というインタビュー本もあり、上方落
語のホープ。一九八一年生まれというから、まだ三十歳代半ば。古典の基礎をきっちり身につけ、酒で失敗した話なども交えて、テンポのいい噺ぶりが楽しい。
「星時計」 はもともと魚屋さんだったが、現在、店を切り盛りしているお孫さんのさとみさんが、佃・月島の通人が集まる店に変身させたよう。蛇足になるけれど、ここのイベントで知り合った女性が、東京駅近くでご主人と居酒屋 「加賀屋」を経営していることが分かり、時々、利用させてもらつている。
女性ながら落語の世界に身を投じた二つ目、三遊亭目るねさんを知ったのは、また別のルートだつた。薩摩藩家老・小松帯刀の末裔と
いう東京芸大卒の小松由美子さんが月島三丁目で経営していた骨董の店「なずな美術」が即席の寄席になった。
二〇一三年のメモの一部を以下に 三遊亭国歌師匠の弟子で、六月に二つ目に昇進した女性落語家、三遊亭歌も女さんの落語を先日、月島の骨董屋サロンで聞いた。かもめさんは、「多ぼう」 の名前(本名が日麻=ひま) を貰って住み込みで前座を五年。八十歳を過ぎた国歌師匠の肩や腰を毎日二時間マッサージさせられたり、丸坊主にされたりと非人間的な生活だったとか。ようやく「人間」に復活し、まだ落語は落ち着いて聞ける実力ではないが、愛橋があつて性格もよさそうで、応援したくなる芸人さん。ちなみにこのサロンは、古伊万里などを並べた本格的な骨董屋さんなのだけれど、女性経営者の趣味でスナック風に店を改造、気が向くと開店するという気ままな店。「お店に来る時は、事前に電話してね」。行列が出来る居酒屋「岸田屋」のすぐ近くにある。

枇杷の実が ヘイスブックにあり余り

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

枇杷の実が フェイスブックにあり余り枇杷の実が フェイスブックにあり余り
(2016/06/18)
知り合いのFBに枇杷の収穫。20数年前、お子さんが捨てた枇杷の種から成長、近所にお裾分けしても余るほど、と。自宅ベランダの枇杷の木は、いつ実る?今日は大学の県人会と浦和・千鳥難民の飲み会。

弥彦村 神社の真緑やまぼうし
(2016/06/17)
弥彦村村長、小林豊彦さんは元日経新聞記者。昨年一月の当選以来、初めての訪問。弥彦神社などを一緒に。かつて浦和でスナックを経営し今は新潟県の松之山に住む玉田美智子さんも「やまぼうし」で一杯。

まろまろと 薄着の妊婦 街を行く
(2016/06/12)
まろまろと目立つお腹を隠そうとしない女性が多くなった? いまや女性活躍の時代。大学の徳島県人会で、外務省などで働く若い女性と話したが、それぞれに頼もしく。新聞社が採用する記者も、女性が半数に。

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お江戸下町落語事情-2
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻

 今田寄席は、時に会場を近くの新川区民館に移したり、すぐそばに開店して一年ほどで閉めた讃岐うどんの店でも、即席寄席を開くなど、アメーバーのように活動の輸を広げている。「席亭」の一美寿さんは極めて社交的な人柄で、店の前を通る人に誰彼となく声をかけ、仲間に引き込むことを特技としている。
事情を知る人は、店の前を避けて勤め先に急ぐ、との逸話も生まれるほどで、我々もそのペースに巻き込まれた仲間。寄席が開かれる夜は二千円ほどの会費で、コップ酒にスタッフが用意したつまみが提供され、時に広島菜などのお土産もつく。
今田酒店がある新川一丁目は、門前仲町・富岡八幡宮の氏子でもあり、ご主人が昨年、町内会長に選ばれたため、八月の大祭の折には、神輿が出発する町の一角にテントを張って、町の人たちの世話もする。酒屋稼業とは一石二鳥でもあるけれど、世話好きの個性は、商売抜き。歌舞伎やコンサートのチケットを、公演当日に「今日、時間ありませんか」と提供してくれたり、我が家のマンションまで貰い物の野菜などを届けてくれたり。カンカラ三線の演歌歌手・岡八郎さんと知り合ったのも、この酒屋寄席だった。
一美寿さんとのつながりから、次に出遭った落語の会は、住吉神社の近くに店がある喫茶店「星時計」が主宰する会。一美寿さんの娘さんが一時期、この喫茶店で働いていた縁もあり、我々も出入りするようになった。
「星時計」の寄席では、これまでに三度、上方落語の故・桂米朝さん門下、桂吉坊さんの噺を聞いた。会場は、月島もんじや通り入り口にある佃島説教所だったり、喫茶店だったり。こちらも即席の高座を設け、喫茶店の場合は三十人も入らないスペースで、膝付き合わせながら、巧みな話芸を聞く。