蝋梅の 花に送られ 朝の道

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

蝋梅の 花に送られ 朝の道
(2016/01/15)
自宅に近い庭園に蝋梅がある。他にも山菜英などが通勤の目を和ませてくれる。まだまだ寒い目が続くが、三月に入れば白モクレン、そして桜と、春の楽しみが。

運勢を 年賀メールで 受けとって
(2016/01/01)
知り合いの運勢学の大家、花見正樹さん。六月生まれの運勢は金運に◎、健康運も吉で、まず健康。元日の体重は六八・一キロ。

元日に 蕎麦米食べて 温まる
(2016/01/01)
徳島の我が家では子供の頃、大晦日に雑炊にして、年越し蕎麦の代りに食べていた。油揚げ、大根、ニンジンなどを細かく切って入れ、身体だけでなく心も温まる。

,初釜の 湯気立ち上る 庵あり
(2016/01/02)
年賀状に記した句。ここ数年、年賀状に俳句をインキ製造の現場を、初釜の湯気に重ねて。書いた賀状は六五〇通。いただいた賀状を一通ずつ拝見する正月の楽しみ。

 晴れ着の娘(こ)ヘップバーンの 映画観る
(2016/01/02)
ヘップバーン主演の「パリの恋人」(完五七年)を有楽町・スバ~座で。昨秋のパリ旅行で訪れた場所があれこれ。楽しめた。東劇のシネマ歌舞伎とはしご。

餅ふたつ 少し体重 増やそうか
(2016/01/01)
朝食のメインはお餅。雑煮に大きめの餅ふたつを、元日に。一月中は焼いたり、クルミ餅など、お餅が朝食のメイン。今年も、脚の筋肉維持のため階段は二段ずつ。

 顔浮かぶ 七阜粥の 人の縁
(2016/01/07)
検察担当記者だった頃、取材先に向島百花園の七草籠を、年の暮れに配った。七草籠を配った検察関係者の多くは鬼籍に。

遠き日を 年賀の会で 語り合い
(2016/01/10)
昨日、山本祐司・元社会部長を浦安の施設に訪ね、集まった仲間と新浦安駅前の居酒屋で新年会。奥様の久子さんを含め11人。四九歳の時、脳梗塞で倒れた山本さんは、左手で執筆活動を続け、七〇歳代後半に。

羽子板に 富士の箸置き 遅い朝
 (2016/01/02)
羽子板を形どった器に御節を盛り、箸置きは富士山をデザインした可愛いブルー。編集の仕事をしている菅原陽子さんの贈り物。

清美さん 新年会に 二十歳(はたち)の眼
(2016/01/14)
民主党衆議院議員、辻元清美さんと日本記者クラブの新年会で再会。彼女が学生でピースボートの活動を始めた頃に知り合い、小田実さんたちと焼肉屋などで酒を呑んだ。「あの頃はまだ二一歳」と感慨深げ。

書初めは 一年前の 大宰府を
(2016/01/16)
毎日新聞書道クラブの新年会は、作品持参が参加の条件。付け焼刃で、一年前の正月の自作「梅一輪 太宰府からの 西の風」を選び、半日かけて短冊状の色紙に。

雪が降る シャンソン少し 口ずさむ

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

雪見酒 筋肉痛を なだめつつ
(2017/01/17)
列島各地の雪景色や除雪の光景を見て、数年前の大雪でマンション周辺の雪かきに汁を流したことを思い出した。スコップなどの用意がなく十分な除雪は出来なかつたが、住人たちから「ご苦労さん」と声をかけられた。

雪が降る シャンソン少し 口ずさむ
(2017/01/20)
雪は降る あなたは来ない。東京に雪がちらついた朝、アダモのシャンソンを思い出した。原詞は一部しか覚えていないけれど、いつかカラオケでこの唄を。

冥福を 年の初めに 逝きし人
(2017/01/20)
三原浩良さんが亡くなつた。元毎口新聞西部本社報道部長。退社後、葦書房、弦書房を経営。昨年、自伝的な「昭和の子」を出版。八〇年代に長崎支局長だつた頃、現地で指導を受けた。大らかな人柄で酒も好きだった。中洲川端のMIIWAにも。

紅ほっぺ 年賀の酒の お礼にと
(2017/01/21)
紅ほつへは静岡で開発された大粒の苺。茶道のお師匠さんから連れ合いが貰ってきた。新年会に銘酒「加賀鳶」をお送りしたので、そのお礼にとの心遣い。贈り物が行ったり来たりでは切∴りがないが、有難く。

 トゥルースを メディアの冬に 噛みしめる
(2017/01/22)
「ポスト・トゥルース (真実)」という言葉が、米大統領選以来、メディアに対する信頼を揺るがしている。トランプ大統禎の記者会見を見ても、自分の気に入らないメディアには答えず、一方的発信。メディアの正念場。

明けましておめでとうございます。

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

年明けて 変わらぬものも 新しく
 (2017/01/06)
四日は年始回り、五日は会社の新年会。今日から生産活動が本格化。風景は変わらないように見えるが、新しい決意を込めて。ジャーナリズムの反対語はマンネリズム。心して。

六度目の 酉年迎え 竹伸びる
(2017/01/01)
年賀状に記した.句。今年 も「ツイツター俳句・無償の愛」を元気に継続したいと願う。これから京都へ。のんびりと三日まで。

てんぶらに 徳島産の 蕗の薹
(2017/01/11)
今年初めて銀座の「てんぷら阿部」でお昼を。メニューが書かれた黒板を見たら、「ふきのとう(徳島産)」と。てんぷらに揚げてもつたら苦みがあつて香ばしい季節の味。

ヴィーナスに 厚いコートを 送ろうか
(2017/01/11)
世界的な寒波襲来。友人二人と続ける連句で「ヴィーナスに紅いマントを着せかけて」。今日は寒を避けて終日、自宅で書道。明日の書道クラブ新年会に持参する作品「花香鳥聲」。

日脚伸 寒波は未だ 去らぬとも
(2017/01/12)
夕方五時頃、会社を出る。まだ暗かつた数日前に比べ、いまは同じ時間でも明るさが残つている。今日は帰り道、満月を見た。ちょつとした偶然に、反応し、感動できる喜び。

若き日の 記憶たどって 忘年会

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

 クブロフの 意味を今年も確かめる
(2016/12/17)
調べると、オーストリアのクリスマスには欠かせないお菓子、と、レウィーン生まれでルイ一六世の王妃、マリー・アントワネットも好んだという。

ビキニ禍が 師走に開く 新聞に
(2016/12/18)
ビキニの米・水爆実験で被ばくした高知県の漁船乗組員を追跡調査してきた元高校教諭らの活動と被害者の六二年の生活が、毎日新聞に報告されていた。焼津の第五福竜丸だけでなく、高知県などのマグロ漁船九六二隻が死の灰を浴びた事実の重さ。

- 羽子板を 扱う人の虚と実と
(2016/12/19)
昨夕は浅草寺の羽子板市へ。境内に並ぶ店の前で悩み、実直そうな女性が丁寧に説明してくれた店で、塩汲み娘の羽子板を二枚。国会議員や銀行名の売約済みの札も。

柚子浮かべ ただあるがまま 湯を浴びる
(2016/12/20)
間もなく冬至。木更津から届いた柚子を湯舟に。あるがままの言葉は、畑野文夫・元講談社インターナショナル社長から大著「森田療法の誕生と業績」を拝受したため。森田正馬氏は神経衰弱の治療法を創始した。あるがままではいられない心の研究。

若き日の 記憶たどって 忘年会
(2016/12/22)
昨夜は渋谷で大学クラス会の幹事引継ぎを兼ねた忘年会。女性一人を含めて七人。大学在学中にはほとんど付き合いがなかつた友人から、いろいろ知らなかったことを聞く。それぞれに個性的で豊かな人生。

ブランデー 人肌などと洒落てみる
(2016/12/23)
「拝啓 ルノワール先生」という梅原龍三郎展を三菱二号館美術館で。ミュージアムショップで手ごろなブランデーグラスを見つけ、夕食時、ブランデーを。

冬時雨 傘をさす人ささぬ人
(2016/12/27)
朝、JR川崎駅からバス停まで、傘をさす人人、ささない人じ大川[業団地でバスを降りる頃には、激しい雨に。さらにお昼頃にかけて嵐に近い様相。夕方は寒くなった。

番外地 健さんに会う 冬景色
(2016/12/24)
俳優高倉健さん追悼特別展が束京駅ステーションギャラリーで。「網走番外地」から「幸福の黄色いハンカチ」まで二〇〇本を超える出演映画のさわりを楽しめる。大学生の頃、健さんの映画と全共闘運動が重なる。}映画館で「健さん」と声をかけた時代。

パリ土産 冬の帰郷の泊り客
(2016/12/28)
資生堂からパリ日本文化会館に出向している姪の結衣ちやんが正月休暇で帰国し、我が家に二泊。日本では高値のバターやパリでしか手に入らないチョコレートがお土産。

神宿る豊島の現地 冬の波
(2016/12/28)
産業廃棄物の撤去期限が来年三月に迫った香川県・豊島。安岐正三さんのメールによれば、仕事納めの二八日も、掘削の見通しを立てる測量が行われた。完全撤去後は安岐さんの断酒も解禁になるのだが。

大いなる 矛盾の露呈 真珠湾
(2016/12/28)
安倍首相の美辞麗句が真珠湾の風に流され、消えてゆく。ひとつひとつの言葉をいかに現実のものとして実現してゆくのか。沖縄が直面している現実をみれば、日米同盟の強化だけでいいのか。有権者は考えて行動を。

来年は 仕事納めも他人事
(2016/12/29)
朝の電車はがらがら。多くの会社が今日から正月休み。川崎駅前のパチンコ店には長い列。我が工場は今日が仕事納め。来年の今頃は何をしているか。健康で仕事以外の楽しみをあれこれ。

 コート着て 新聞を手に 朝の駅

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

雷は 雪の前触れ 北の国
(2016/12/09)
北陸で落雷による被害。小学生の頃、徳島県から石川県に転校して、冬の初めの雷に驚いた。鈍色の空から雷鳴が聞こえ、間もなく、雪の季節に。初めて体験したスキーに夢中になり日没まで雪と戯れていた。

菊姫の 助けを借りて 年の暮れ
(2016/12/09)
石川県の銘酒菊姫が人の縁を結んだ。門前仲町・久寿乃葉。20年程前、新聞社編集局で「菊姫を呑みたい」というデスクがいて、師走にこの店で菊姫の会を始めた。今年は北海道からの二人、現役の女性記者二人を含め10人余。来年も。

蜜柑むく 日曜の朝 ゆるゆると
(2016/12/10)
 忘年会続きの後で、日曜の朝のゆつくりとした目覚めが心地よい。昨日はアニメ映画「この世界の片隅に」。声の主役はのんさん。思わず涙がにじみ、この日本を、戦争が出来る国にしようとする安倍政権に怒りかこみ上げた。

足元に 朝の太陽 温かく
(2016/12/10)
川崎駅でバスを待つ間、差し込んでくる朝日が、足元に注がれ、温かくしてくれる。一週間の初め、今週もいいことがありそうな。社長退任後も、普段の生活のペースは崩さず、自然体でと心掛ける。

雪便り 同人誌編む はや九巻
(2016/12/13)
同人誌「人生八撃新年号編集大詰め。未明に元宝塚スター・鳳蘭さんの秘書からメールで原稿が届き、締め切り。小樽に住む福岡洋子さんの便りには早い雪に対する驚き。トランプ解説もあり、なかなか充実、と自負。

コート着て 新聞を手に 朝の駅
(2016/12/16)
JR有楽町駅で珍しく新聞を手にしたサラリーマンに会った。スマホが目立つ中で、いまや懐かしい光景。新聞がない家庭に育った人が増え、情報社会のインフラである紙のメディアは危急存亡の時〇嘆くだけではなく、なんとか打開策を、と試行錯誤。

 増毛駅 雪のレールの 別れの日

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

師走入り  株主総会  淡々と     二日
(2016/12/02)
日本新聞インキ株主総会を川崎市の本社で開催。社長退任などの議案を淡々と。五年間の社長業が終わった。支えていただいた方々に心から感謝。窓から富士山を遠望。

ねぎらいの 言葉と花と 温かく   三日
(2016/12/02)
社長退任の療親会を終え帰宅したら新聞社当時に「三人娘」と呼んでいた国井道子さん、戸部ひろ美さん、濱田洋子さんから大きな花籠が届いていた。花見の頃には、門前仲町や靖国神社近くの九段の店で一緒に酒を。

 増毛駅 雪のレールの 別れの日
(2016/12/04)
JR留萌線が廃線に。二目前に川崎の店「北海道」で開かれたご苦労さん会で、増毛の銘酒「国稀(くにまれ)」を口にした。数年前、師走恒例「菊姫の会」に、札幌に住む江畑さんが持参、この酒を知った。

 目の奥に 雪の選挙が まざまざと
(2016/12/05)
元NHK記者、中尾庸蔵さんの「角さん、ほめられ過ぎですよー・」(扶桑社新書)の出版記念シンポ。ロッキード一審判決直後、元首相VS作家・野坂昭如さんの新潟三区選挙取材で長岡に一か月。シンポで、父親が野坂さんに事務所を提供したというNHK記者の詰。

礼状を 小春日和に ポストまで
(2016/12/05)
写友至誠会展を見に来てくれた方や、お歳暮へのお礼の葉書や封書。工場団地のポストは、事務所から歩いて七、八分。一目でも早く届けたいと。道端には、乱菊。   302

真珠湾 何を語るか 冬の海
(2016/12/08)
目本軍による真珠湾攻撃から七五年。安倍首相は現地で何を語るのか。同時に我々は第二次大戦の歴史から何を学び、日常的にどのように行動すべきか。それを、自身の問題として深く考えなければならない。劣化した教育と民主主義のいま。

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写真展 砧公園 紅葉の季

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

忌部族 由来を語る 冬上野
(2016/11/19)
 阿波・忌部の研究者と上野で熱く語り合った。母校の校歌に「忌部の里の丘の上(え)に」 とあり、我が故郷は忌部の地。林博章さ
んは、その忌部族が創世記の日本を作つた壮大な歴史ドラマを語る。信じて支援する。

社長だと 交わす名刺も 師走まで
(2016/11/23)
12月2日に日本新聞インキ株主総会。五年間の社長業にピリオド。半年は相談役。新聞社の四二年とこの会社六年で会社人間四八
年。高校生の頃、人生四〇歳まで、と思っていたのに。かくなる上はあと二〇年。

初雪や 少し厚着で 身構えて
(2016/11/24)
霜月の雪。観測史上、昭和三七年以束。そ
この頃はまだ徳島の高校生だつた。この季節には初めて、ワイシャツの下にアンダー+シヤツを着込んで、レッグウォーマーも。

氷雨にも 友の情けは 負けはせず
(2016/11/28)
昨日は浦和のスナック「千鳥」の元飲み仲間の忘年会。駅前の居酒屋に三七人。風邪気味の元ママさんは挨拶して引き揚げ。それで
も客たちは氷雨にもめげず二次会はカラオケ。

ピアノデュオ 木枯らしの夜 人の縁
(2016/11/29)
銀座ヤマハホールでクトロヴアツツ兄弟にょるピアノデュオ・コンサート。主催の日本青年館は建て替え中だが、1980年代には
原水禁運動や国連軍縮総会に向けた反核署名運動の拠点だつた。当時の取材の縁で案内をいただき、懐かしい顔に再会。

写真展 砧公園 紅葉の季
(2016/11/29)
第-回写友至誠会展が二九日、砧公園の世田谷美術館で始まった。徳島県立川島高校同窓会有志蒜人が約八〇点を出品。私も「大横川の桜祭り」「ドバイの海岸」など六点をブログ投稿作品から自信作を。

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湯煙と もみじの箱根 雨上がり ・北は雪 ひとリー人の 顔浮かぶ

 

 

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

「秋霞」 宇宙の光 受け止めて
(2016/11/04)
染色作家、志村ふくみさんの作品展を世田谷美術館で。「秋霞」は昭和三四年作で、同じテーマの作品がデビュー作として評価された。よく見ると、藍染を基本に様々な植物から色を賞つている志村作品の特徴がよく分かる。
砧公園は、もうすぐ紅葉。

北は雪 ひとリー人の 顔浮かぶ
(2016/11/06)
札幌は本格的な雪。北の国に住む知り合いの顔が浮かぶ。来月、門前仲町・久寿乃葉で開く忘年会「菊姫の会」に参加してくれる人
も。自転車で日比谷まで出かけて、映画「ベストセラー」をシネ・シャンテで。

あの人も 喪中の葉書 重なって
(2016/11/08)
郵便物の中に、喪中の葉書が何枚か届く日が多くなった。友人本人の逝去を知らせてくれる奥様の名前も。郵便局勤務の知り合いに、
今年も年賀葉書六〇〇枚を注文。

湯煙と もみじの箱根 雨上がり
(2016/11/11)
二日前の箱根。朝方の雨に震えたが間もなく晴れて、ゴルフ。昼過ぎから米大統領の経過を気にしながら、最終的にトランプ大統
領の誕生に、驚きの声がとがる。これも民主主義といえばそれまでだが。

恥じらいの スーパームーン 雲の上
(2016/11/04)
昨日はスーパームーンの満月、六八年ぶりの地球接近だというが、東京は雨空で、見ることは出来なかった。事前に騒がれ過ぎて、
お月様も恥ずかしくなつた?と擬人化。

運河沿い 実った柿を 分け合って
(2016/11/12)
川崎・大川工業団地は運河に面して、我が社はその一角に。工場の敷地で育った柿が実をつけ、みんなで賞味した。渋い!と顔をし
かめる女性や、美味しいと笑顔の男件。それぞれに柿にまつわる思い出話。

17夜 月の山形 出羽桜

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

17夜 月の山形 出羽桜
(2016/10/20)
新聞大会出席で一八目に山形一泊。NHK天皇生前退位報道と並んで、毎日新聞は能州本地震の写真報道で新聞協会賞を受賞し、編集部門の最多受賞記録更新。新聞社社長らの研究会シンポジウムで「新聞の力に自信を」と。

秋の酒 運ぶ舞妓は 未成年
(2016/10/20)
用意され、ト四代など何種類かいただいた。花笠踊りや舞妓、芸妓さんも。その中の一人は「私はまだお酒は呑めません」。銘酒コーナーでお酒を注いでもらつている写真が、翌日の山形新聞に掲載され、驚く。

木の恵み 日差しの恵み 神無月
(2016/10/20)
神が近在にいなくても、佃公園の樹木は緑が生き生きとして、木漏れ日も温かい。自然というか、宇宙が生命力を与えてくれる。健康であることの有難さ。昨夜の酒は間もなく七九歳という先輩と日比谷で。

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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-3
=「味の手帖」一七年六月号

高尾 義彦

平家のレジェンド蕎麦米雑炊-2

ある時、六本木の街を歩いていて、四国八十八か所にちなんだ 「はちはち (88) 屋」という四国四この蕎麦米雑炊に出会って感激した。この店は丸の内地下街に移り、いまも楽しめる。徳島市内では、この雑炊を味わえる店が以前からあり、長野県の店にも蕎麦米はあつたが、ようやく東京でもその味が認められてきたということだろうか。
東京で蕎麦米をはじめ郷里の特産品を手に入れるには、有楽町・交通会館の 「徳島・香川トモニ市場~ふるさと物産館」を訪ねる。
七年前のオープン以来、来客数は五〇万人を超えたといい、さらなる繁盛を願いたい。
先にも触れたように徳島は「食の宝庫」だが、PR下手なのか、まだまだ東京では十分認知されていない。「トモニ市場」は徳島銀行と香川銀行が協力して運営する民間の組織であり、徳島県が行政面からもつと地元産晶の売り込みに力を入れてほしい、と注文しておきた

北あかり 富良野の実り 到来し

無償の愛をつぶやく Ⅱ

高尾 義彦

北あかり 富良野の実り 到来し
(2016/10/14)
北海道・富良野に住む知人から、じやがいもや玉葱が贈られてきた。異例の台風襲来で甚大な被害の傷跡が残る北海道だが、知人の菜園は大きな被害は免れたという。腹膜透析の治療を続けながら、畑に出て農作物を愛おしむ。心して、日々の食卓に。

惣誉(そうほまれ) 銀杏眺めて 昼の酒
(2016/10/15)
東大のホームカミングデー。「知」のシンポジウムを聞いた後、安田講堂前の銀杏並木の模擬店で、栃木の銘酒・惣誉を盲。その前後に、元「人魚の嘆き」の彩子さんから、パートて・の個展に届けた佃煮のお礼の電話。

八ヶ岳 九谷の器 風は秋
(2016/10/09)
小淵沢カントリークラブでゴ~フ。雨上がり、強い風に思わず「寒い」。近くにレストハウスを構えた西川安紀子さんは石川県出身。九谷焼販売から、東銀座で和風割烹の女将に。そして八ヶ岳山麓へ。断捨離と称し、山田龍山作の箱書付茶器をいただいた。

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「緑の宝石」徳島スダチの魅力と蕎麦米雑炊-3
=「味の手帖」一七年六月号

高尾 義彦

平家のレジェンド蕎麦米雑炊-1

これらの「地味」をいちいち紹介するスペースはないので、ほぼ徳島独特の食べ物と思われる「蕎麦米雑炊」だけをお披露目したい。
これは簡単に言えば、収穫された蕎麦を蕎麦粉に挽かずに、実を茄でて乾燥させて皮を取り除き、コメと同じように粒の状態で食する。鶏肉と昆布で出汁をとり、油揚げ、ニンジン、大根、ごぼう、干し椎茸、焼き竹輪などを入れて雑炊にする。酒や醤油、みりんで味をつけ、具材などは各家庭の好み次第だ。
蕎麦米雑炊は、平家の落人が逃げ延びた祖谷地方が発祥の地と伝えられる。険しい山地の祖谷地方では、蕎麦以外に穀物は育たず、落人たちは蕎麦を主食にして、都を偲びこの雑炊を考案したといい、農林水産省選定の「農山漁村の郷土料理百選」 にも選ばれている。
我が家では幼い頃から大晦日に蕎麦米雑炊を食べる習慣があつた。年越し蕎麦の代用だつたのかもしれない、懐かしい、温かい味が忘れられず、いまも大晦日に限らず、正月前後には何度か蕎麦米雑炊が食卓に上る。