特別寄稿
寸又峡を遠く離れて-2
=「人生八馨」2017年正月号・第九巻
高尾 義彦
支局で内勤の仕事を指示され、先輩記者や通信部から送られてくる原稿を、電話機を握りしめながら「ざら紙」と呼ばれた原稿用紙に書き留めてゆく。原稿用紙といっても桝目はなく白紙で、葉書より少し大きい1枚に、1枚5字ずつ3行で、当時の印刷紙面の一行に当たる15字の原稿とする。ちなみにこの用紙は、新聞印刷用に輪転機にかけられる用紙の余りを利用して裁断されたものだ。
そんな見習い作業の合間に、何気なく手にしたのが、机の上に置かれていた「金嬉老事件」の冒頭陳述書だった。B5版ほどの大きさで、白い表紙に黒い表題が印刷され、かなり分厚いものだった。偶然、この冒頭陳述書を手に取ったことが、振り返ってみると、新聞記者、中でも主に司法を担当する記者としてのその後を決める運命の出会いだった。
金嬉老事件は、入社前年の一九六八年二月二〇目に発生した。在日コリアン二世の金嬉老被告(本名・権繕老)が清水市(当時) のクラブ「みんくす」で暴力団員二人をライフル銃で射殺した。逃走後、静岡県本川根町(同)の寸又峡温泉「ふじみや旅館」に経営者や宿泊客ら一三人を人質にして立てこもった。金被告は実況中継のテレビやラジオを通じて、警察官による朝鮮人・韓国人侮蔑発言に対する謝罪を求め、民族差別問題がクローズアップされた劇場型犯罪となつた。
崔昌華牧師は当時、福岡県・小倉の教会を 純拠点に、戦時中に朝鮮半島から強制連行された朝鮮人が炭鉱で働かされ、命を落として、遺骨が放置されたままになつていたため、遺骨の収集や納骨堂の建設に力を注いでいた。
事件を聞いて寸又峡を訪れ、立てこもり中の金被告を説得、「民族差別との闘い」を訴えた。
龍城88時間で新聞記者の腕章を着けた警察官らに取り押さえられ逮捕された金被告の裁判は、私が静岡支局に赴任した当時、すでに静岡地裁で始まって一年ほどが経過していた。支局勤務の新聞記者一年生は警察や裁判を担当することになっていたので、この裁判の取材も仕事の一つになつた。
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少年は 打って走って春を呼ぶ
(2017/3/8)
中学生の頃まで野球少年だった。ワールドベースボールクラシック(WBC)が始まり、日本は初戦でキューバに勝ち幸先のいいスタート。選手たちの心はいまも少年。.
椿咲く寂聴さんと京の旅
(2017/3/5)
BS・TBS「麗しの京都巡礼」を見て、『中坊公平の追いつめる』を一九九八年に出版した際、中坊さんとの縁を取材後、寂聴さんとお酒を?んだ日を思い出した。俳人真砂女さんをモデルに小説「いよよ華やぐ」を新聞連載していた頃で、店は彼女の銀座「卯波」。
梅の花 メジロせかせか蜜を吸う
(2017/3/7)
知り合いのフェイスブックに、梅の蜜を吸うメジロの姿。カメラなど気にせず、さぞ忙しく動き回っていることだろう。子供の頃、田舎でメジロを飼っていた。