特別寄稿第2弾
講演「いま、なぜ田中角栄なのか」-2 高尾義彦
=「人生八馨」一六年秋季号・第八巻掲載から抜粋
この時、確認すると、毎日新聞の写真部員がまだ到着していない。あわてて100メートルほど離れた記者クラブに走って、普段、自分が使っているカメラを持ってきて、カメラマンの最前列、車が止まる位置の一番近くでシャッターを切りました。ストロボなしで、本当に撮影できたのか、不安でしたが、会社から現像結果を知らされ、ほつとしました。
これがその日の号外のコピー=写真=で、
元首相の姿が、何とか映っていました。最初、車から降りてきた時には「どこの田舎の代議士か」という第一印象で、田中元首相と気づくのに、一瞬、時差がありました。大手新聞社の中には、元首相が出頭する写真を撮れなかった会社もあり、自分の生涯でも一番、強烈に印象に残っている写真です。号外の裏面に私の署名記事も掲載されています。
この時、感じたことは 「権力のトップにいた人物でも、不正があれば司法は毅然として巨悪に切り込む」という思いで、司法・立法・行政の三権分立、つまり「健全な民主主義」が機能したと実感しました。ちょうど当日の、夏の日の青空のような気分でした。
その後の政治状況やダグラス・グラマン事件、リクルート事件などの取材を体験して、の思い、素直な感想は「甘すぎた」という、裏切られた、と感じることになるのです∴捜査のクライマックスの時点では、そんな気持ちでした。
ロッキード事件はその年の二月四日、アメソカから飛び込んできた事件で、私はその時点から主任検事の吉永祐介さんなど検察幹部を担当して、毎晩毎晩、夜回り取材を続けていました。元首相逮捕の前夜も、先ほどの「検察、重大決意へ」「高官逮捕は目前」の原稿を書いて社会部デスクに出した後、当時、新宿区西大久保にあった吉永さんの官舎に向かいました。ところが近くの公園に他社の記者たちがいて、吉永さんは「お腹の調子が悪いので、明日は病院に寄ってから検察庁に行く」と言い残して自宅に入ってしまった、という話でした。
つづく
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「羊飼」の 絵葉書にまた 古稀想う 1月23日
河彦
新聞社時代の先輩を中心に同人誌「人生八聲」を創刊した。16人が記者時代の思い出や書きそびれたことなどを執筆、なかなか充実した内容と自画自賛。一冊をお送りした方から、「羊飼」の絵葉書で礼状をいただいた。未年に古稀を迎えることを、改めて想う。