「天皇譲位と忌部族」-5

Pocket

 

特別寄稿

忌部(いんべ)の地 歴史語って濁り酒

特別寄稿

高尾 義彦
(「人生八聲」一七年夏季号・第十一巻掲載から)

吉野川市は、麻栽培産業の復活を、人口減少対策の指針とする戦略(一五~一九年度)に位置づけ、推漣協議会を立ち上げて栃木などの先進地視察、シンポジウム開催など準備を始め、生産者の人選と育成を進めようとしていた。ところが鳥取県で大麻栽培が摘発され、種子などの入手が困難になつたほか、政府も麻栽培の許可を厳しくする方針を打ち出し、断念に追い込まれた。
栃木県にある大麻博物館発行の「大麻という農作物」によれば、副題の「日本人の営みを支えてきた植物とその危機」の指摘が正しい認識なのだが、無理解あるいは誤解によって、日本の麻産業は厳しい環境に置かれている。
古来、日本で栽培されてきた麻、つまり大麻は、「違法な薬物」として使用される習慣がなかった。
大麻は「薬用型」「中間型」「繊維型」に分けられ、日本では「繊維型」が主要産物だった。大麻にはTHC(テトラヒドロカンナビロール)という向精神作用をもたらす成分が含まれるが、「繊維型」にはほとんど含まれず、長く和紙や衣料品の素材として日本人の生活を支えてきた。
その貴重な麻が、危険な麻薬扱いされるようになったのは、第二次大戦後のGHQ(連合国軍総司令部)にょる摘発がきっかけだった。
マリファナはインド大麻から作られ、日本の大麻とは別物とされていたのが混同され、さらにべトナム戦争に参加した米軍兵士の間で流行したことを背景に、規制強化の道をたどった。
現在、日本で麻が生産されている地域は、生産量でみると、栃木、長野、三重の順。「繊維型」としての麻を徳島で生産しょう
とした吉野川市の計画が頓挫したことは、残念でならない。誤解を解いて、麻に縁の探い地で麻の栽培が再開されることを望みたい。

ーーーーーー

駆け上がる ツツジ咲く坂 陽を浴びて   二三日

佃公園にツツジが咲き、季節が進む。朝、リバーシティー中央大橋に向かう坂道を自転車で駆け上がる。今日の陽気なら、夜の帰りにも雨用のコートは必要なさそう。底寒い日が続いたので、本当の春にと願う。
(春に詠んだ句です)