特別寄稿第2弾
講演「いま、なぜ田中角栄なのか」-8
高尾義彦
=「人生八馨」一六年正月号・第五巻掲載から抜粋
巷間、政界の現状を語る時、金脈事件で失脚後も「闇将軍」などと呼ばれた田中角栄元首相の名前が引き合いに出される機会が増えている。地元・新潟への利益誘導など負の部分を抱えて、亡くなつてから二二年になるが、「角栄幻想」に似た現象には、いまの国会議員、政治家に対して有権者が抱く失望感の裏返しのような心理が働いているように見える。
ロッキード事件で元首相が逮捕されてから二〇一六年で四〇年。この間、日本の民主主義は進化したのか、劣化したのか。集団的自衛権、特定秘密保護法、原発再稼働などをめぐる動きをみれば、答えは明らかだが、民主主義が一瞬、輝いて見えたあの事件を取材した記者の一人として、真の民主主義実現に向けて、心を新たにしたいと思う。
司法記者クラブの一番下つ端の記者として東京地検特捜部を中心とした検察取材を担当していた一九七六年は、自分の生涯の中で一番長い一年であり、最も重い体験をさせてもらつた。事件は七六年二月五日早朝から始まった。米上院外交委員会多国籍企業小委員会で、ロッキード社が日本への航空機売り込みに関して 「政府高官」に巨額の賄賂をばらまき、秘密代理人・児玉誉士夫らが暗躍した疑惑が明らかにされ、その情報が日本にもたらされた瞬間から「戦後最大の疑獄」に火がついた。この目の朝刊では、朝日新聞だけが二面真ん中あたりの四段と地味な扱いで目立たず、各紙とも全面展開は夕刊から始まった。
「新聞記事だけで捜査が出来るか」。検察幹部は素っ気ない対応だつたが、東京地検特捜部以外にこの事件を処理出来る捜査機関はない、と内心では思い定めていたようで、二月二十四日には特捜部を中心に警視庁、東京国税局が初めて合同強制捜査に乗り出し、一年近くにわたる夜討ち朝駆けの日々が始まった。
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蟲を聴く永年は古稀ともどもに
(2014年9且1日)
昭和二〇年生まれの同級生たちは来年、古稀。年齢を重ねると、時間が速く過ぎてゆく感覚が強くなる。九月に入り、蝉の声は消えて、蟲たちが音楽会の様相。このまま涼しくなるのか、気まぐれな自然とどう付き合うか。