特別寄稿第2弾
講演「いま、なぜ田中角栄なのか」-4
高尾義彦
=「人生八馨」一六年秋季号・第八巻掲載から抜粋
「レジュメ」-1
ロッキード裁判 一審判決は八三年十月十二日元首相に懲役四年、追徴金五億円の実刑。二審も有罪。元首相は、最高裁に上告中の九三年二月一六日死去。享年七五。元首相は死亡により公訴棄却となつたが、丸紅側被告らの丸紅ルートの最高裁判決(九五年二月二二日)で五億円贈賄の事実が認定され、ほぼ十八年の歳月をかけて終結。
この一八年間は検察当局にとって、元首相を必ず有罪にしなければならないというプレッシャーとの闘いで、その一方で元首相は「闇将軍」「キングメーカー」として中曽根首相の誕生などに大きな影響力を持った時代が続いたことはご存知の通りです。
この間、裁判の取材と並行して、正月元日には田中邸の門前に立って、出入りする年始客をチェックするという取材を、元首相が亡くなった翌年の九四年まで一四年間、続けました。拙著「陽気なピエロたち田中角栄幻想の現場検証」(社会思想社)で詳しく報告したことと重なりますが、政治家や官僚・役人だけでなく、就職や進学、結婚などで世話になつた人たちが何百人も年始に訪れる。いまも続く「田中人気」を考える場所として、自分としては一つの検証の場ととらえていました。
ある年、秘書の早坂茂三さんは「門の前にいる記者さんに、温かいものでもふるまったらどうか、と親父さんが言っている」などと声をかけてきたこともありました。最近の角栄本にみられる元首相の「情」に通じる言葉です。
現実には、元首相やそれを取り巻く人たちを批判する立場の社会部記者は、いわば 「招
かれざる客」 です。同じ新聞社でも政治部記者とは立場が違うので、寒空の下で立ちん坊の取材を毎年、続けていました。
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船渡御のこれが生きがい佃島
住吉神社例大祭二日目は、隅田川に浮かべた台船に神輿を載せて、佃大橋、勝開橋の下を神官たちも一緒にゆつくりと。先祖代々、佃に住む人たちは、この日のために準備を重ね、三日間を暑さに挑んで楽しむ。
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