「天皇譲位と忌部族」-6

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特別寄稿

忌部(いんべ)の地 歴史語って濁り酒

 写真は忌部小学校

特別寄稿
「天皇譲位と忌部族」-6

高尾 義彦
(「人生八聲」一七年夏季号・第十一巻掲載から)

忌部族の農業技術は麻だけでなく、粟や穀(かじ)などを植え、その技術を広めていった功績があげられる。それを証明するため、林教諭は千葉県や栃木県などを幅広く調査し、千葉県に住む忌部の末裔を徳島に招いて歴史の糸を結ぶ作業を進めている。
このうち、千葉県酒々井町の 「大鷲神社」には、「阿波の国から麻・木綿(ゆう)の産業が伝えられた」などの記録がある。「安房」「粟」は阿波に由来し、粟の栽培技術も伝えられた。
栃木県小山市の「安房神社」など関東各地に、忌部の足跡が確認され、農業技術集団としての活動が歴史的事実として確認されつつある。
忌部が歴史の表舞台からやや下がった位置に置かれた理由は、大まかに言ってふたつある。ひとつは大和朝廷以来、皇室を支えてきた氏族だったが、中臣氏との権力争いで後塵を拝する結果になったことが考えられる。もう一つは、さらに時代が下つて、阿波藩に蜂須賀家が封じられて以降、外部からやってきた蜂須賀家が、地元の有力氏族である忌部の力を恐れ、江戸時代以来、忌部の勢力を削ぐ政策がとられてきたという。
歴史学は、権力者の歴史を正史とする。日本の歴史学も例外ではなく、支配者側の論理に従属してきた側面があり、林教諭らは古文書や阿波の国に存在する古墳、忌部神社の歴史など実証的な観点から、従来の歴史学に異唱え、ようやく忌部の存在が正しく認識され始めたといえる。
同時に、かつての忌部の地では、過去を振返るだけでなく、新たな動きが起きている。
林教諭たちが立ち上げの準備をしている「忌部」文化研究所の賛同者たちは、「剣山系の急傾斜地農業システム」を世界農業遺産として登録させるための地道な準備を進めてきた。

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新コレド江戸の賑わい春化粧 (過ぎし日の一句を)

日本橋に第二、第三のコレドがオープンして一か月。昨日、連れ合いと日本橋三越で東日本伝統工芸展「金魚姫」 こと安田直子さんの陶芸作品を見て、コレド2へ。北海道・厚岸のカキ料理屋さんなどに長い列。銘酒・八海山の店も。江戸の賑わいを取り戻す狙い。