忌部(いんべ)の地 歴史語って濁り酒
特別寄稿
「天皇譲位と忌部族」-4
高尾 義彦
(「人生八聲」一七年夏季号・第十一巻掲載から)
「至誠無息」の揮童は元帥・海軍大将だった東郷平八郎で、この言葉の由来となる校歌の別の一節を紹介すれば、「心ままなる人の世の 蓬を正す麻として 至誠の道を一筋に」となつている。
天皇が生前退位の気持ちをにじませたお言葉を発表されて以来、次期天皇の即位の時期や新元号の検討が政治課題になつてきた。忌部の当主である三木さんにとって、今回も大嘗祭への鹿服(あらたえ=鹿の字の上部が々です)調進の事業をつつがなく進める責任があり、協議会組織などの準備が急務。
予算的には一億円前後はかかると見込まれ、地元あげての協力が必要になる。
大嘗祭は、即位後最初に迎える秋の収穫期に挙行される(通常は新嘗祭)。現在検討されている政府案によれば、一八年末の天皇譲位、一九年元日の元号改元を経て、その年の秋に大嘗祭挙行というスケジュールが考えられる。
麻は忌部族のシンボル的な植物であり、三木家住宅の帰りに訪私た忌部神社には麻の菓の紋章が飾られていた。麻に縁の深い土地であることは、十年前に、ふるさとの山川町と鴨島町、川島町、美郷村が合併して吉野川市が誕生するまで、この地域は 「麻植(おえ)郡」と呼ばれていたことでも理解いただけると考える。麻を植える、という古来の農業に由来する名前で、合併時には「麻植市」の名称を冠すべきだ、という意見も強く、私はいまでも「麻植」に強い愛着がある。
江戸時代以来、「ジャパン・ブルー」として有名になつた藍染は、本来、麻布を染めるために開発されたという。東京五輪・パラリンピックのシンボルマークにも、藍色が使用され、さらに注目されている。
そんな麻をめぐる動きの中で、残念なニュースもあつた。徳島新聞が今年二月九日、「吉野川市が麻栽培復活断念」と報道したことを、高校同級生の松島ひで子さんが教えてくれた。
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鹿服(あらたえ)に思いをはせて訃報聞く 一七日
母校の同窓会・至誠会の木村悟前会長が八四歳で亡くなった。鹿服は麻で織った布で、天皇即位の儀式に必須の品。今上天皇の大嘗祭後、余り布で「至誠無息」の校旗レプリカを作ったのが木村さん。故郷はかつて「麻植(おえ)郡」と呼ばれ、麻とは深い縁。(注)鹿服(あらたえ)は、鹿の字の上部が々です。