「天皇譲位と忌部族」-3

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特別寄稿

忌部(いんべ)の地 歴史語って濁り酒

特別寄稿
「天皇譲位と忌部族」-3

高尾 義彦
(「人生八聲」一七年夏季号・第十一巻掲載から)

併設の資料館には、麻蒸し桶、麻舟、機織り機などが展示され、現天皇即位に伴う一九九〇年十一月の大嘗祭では、この地で織られた鹿服(あらたえ=鹿の字の上部がㇰです)を、我がふるさとである山川町の忌部神社を通じて供納した記録や写真も展示されている。
この時の鹿服(あらたえ=鹿の字の上部がㇰです)調進については、毎日新聞社社会部の若手だった丸山雅也記者(現・大阪本
社編集局長)が現地を訪れて取材しているが、三木さんはそのことをよく覚えていてくれた。
その取材は連載「即位の礼と大嘗祭4(一九九〇年十一月二目付=写真) にまとめられ、「鹿服(あらたえ=鹿の字の上部がㇰです)調進の伝統の根源は平安時代の法令集、延喜式にさかのぼる」「民間の協議会で二千万円以上の資金を集めた」[木屋平村の畑で四月に種を播き七月の刈り入れまで、村民が二四時間体制で見張った」などの記載がある。忌部神社で女性が鹿服(あらたえ=鹿の字の上部がㇰです)を織る様子を伝えた写真も添えられている。
当時、地元で調進の事業を中心になつて進めたのが母校、川島高校の同窓会組織である「至誠会」の会長を務めた木村悟さん(一七年二月死去、享年八四)。木村さんはこの時織られた鹿服(あらたえ=鹿の字の上部がㇰです)の残り布を使って、母校の校旗・校宝となつている「至誠無息」の旗のレプリカを三つ、作成した。そのうちの一つは東京至誠会会長である私の自宅に保管され、毎年秋の同窓会では会場に持参して飾る。

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逝きし人 碑む五月ほ肌寒く     三日

八〇歳で亡くなった元サンデー毎日編集長、四方洋さんの通夜が二日、四谷の聖イグナチオ教会で。最近、『あの世へ逝く力』を上梓した北浦和の料亭「二木屋」社長、小林玖仁男さんと同じ難病の問質性肺炎。