「天皇譲位と忌部族」-2

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特別寄稿

忌部(いんべ)の地 歴史語って濁り酒

特別寄稿
「天皇譲位と忌部族」-2

高尾 義彦
(「人生八聲」一七年夏季号・第一一巻掲載)

周辺に植えられた数十本の枝垂れ桜はまだ開花せず、前日には雪が降つたそうで、剣山山系の近くの山や神社の屋根に雪が残っていた。
案内役は、忌部研究の第一人者で、「倭国創生と阿波忌部」「日本の建国と阿波忌部~麻植郡の足跡と共に~」などの著書がある林博章・鳴門渦潮高校教諭(51)にお願いした。
徳島市内から車で三時間近く、吉野川の上流に向かい、くねくねと曲がる細い山道を走つて、「三木家住宅」にたどり着いた。
林さんは、一般社団法人「忌部」文化研究所を来年一八年に立ち上げる計画の中心となって精力的に活動している。私自身も、高校一年後輩の高野啓子さんを通じて、林さんからこの研究所設立への協力を求められ、彼が上京した際に二度ほど話を聞いた縁で、「忌部」の世界にのめり込むことになった。今回の報告は、歴史的事実などに関して、前掲の
著書を含め、林さんの研究成果に負うところ大であることを、お断りしておく。
この日は、冬季には大阪在住の二八代当主、三木信夫さん(81)が、前日に帰宅して出迎えてくれた。三木さんは桜の木で四角に囲つた囲炉裏に火を入れて、林教諭、高野さんら我々一行を歓待してくれた。樫の木が勢いよく燃え上がる炎を見ながら、濁り酒を酌み交わして、忌部にまっわる話を聞いた。
皇室と忌部の関係を示す重要な事業として、天皇即位に伴う大嘗祭に、阿波で育てた麻の繊維で織った「喪服(あらたえ)」という布を調進する伝統が代々、受け継がれている。三木家住宅には鎌倉時代から南北朝動乱の時代の古文書類が保存されている。
つづく

大輪の薔薇と苺と菖蒲の湯

ベランダの深紅の薔薇を切り、部屋で楽しむ。苺は故郷の一品を徳島のひでこさんから。朝風呂の菖蒲湯。GWに映画「蘇えりし者」と三井美術館の魯山人の美。