「療養病床」を半分の18万床まで減らすー1
「療養病床」を半分の18万床まで減らすー1
2014年の医療改定では、診療報酬のアップと併せて、病院の病床数の削減も打ち出された。これは、重症患者向けの「急性期病床(いわゆる「療養病床」)を減らすことである。
現在、療養病床のほとんどは、死期が近い高齢者の重症患者で占められている。じつは、これは現在の病院のドル箱である。なぜなら、このような患者から病院は、入院基本料金でもっとも高い料金を取れるからだ。この入院基本料は2006年度の診療報酬改定で創設され、このため療養病床は、当初2~3万床が開設されると見込まれた。
療養病床は現在、なんと36万床まで膨らんでしまったのである。もちろん、医療費の膨張に拍車をかけてしまった。
療養病床を創設して終末ケアをするというのは、当時の国の政策だった。ところが、たった10年余りで、国は政策転換をしなければならなくなったのである。
医療削減のための患者負担を引き上げ-2
医療削減のための患者負担を引き上げ-2
2014年の医療費の値上げでは、まず初診料が200円、再診
料が30縁引き上げられた。たとえば、患者さんが初診で病院に行
くと、これまで2700円だった初診料が2820円になった。同
じく、再診料は690円から720円になった。歯科の初診料や再
診料、薬局がとる調剤基本料も同様に上がった。また、入院した際
にかかる入院基本料も、それぞれ2%ほど上がった。
こうなると、患者さんにとって病院の敷居はおんどん高くなり、
高齢の入院患者さんばかりか、初診で病院に来る患者さんまでが減
る。
そして、これが進んでゆくと、やがて病院は「カネを持ってくる
患者」以外は診てくれなくなる。まして、病院に入院するのがおカ
ネ次第となり、この点でも日本人の死に方は大きく変わってしま
う。
講演ー間違いだらけの医者選び
記事になりましたので・・・上段は、日刊ゲンダイ8月29日号。
「オレのおふくろメシ」
下段は、秋田さきがけ政経懇和会講演風景
(秋田さきがけ新聞8月27日号)
日本人の8割りは病院で死んできた-5
医療削減のための患者負担を引き上げ
こうした流れをつくり出した政府は、2014年4月から大幅な医療費(診療報酬)の改定を行った。
しかし、この医療側が提唱した「国民が納得し満足できる最期を迎える」とは裏腹に、患者さんのことはほとんど考えていない、単なる医療費の値上げだった。政府としては、ともかく医療費を削減したい。そのために、医療費を上げて患者の負担を多くし、それによって医療費の削減を減らそうとしたのだ。
これは、医者の側が収入を減らされることに頑強に抵抗した結果でもある。医療費は上げるが、医者の収入は減らされては困る。そのために、医療費の値上げ分はすべて患者に負担させることになってしまった。
高齢社会が進むとともに、日本の医療費は年々凄まじい勢いで増加しているのは、読者のみなさんもよくご存知のことと思う。
厚労省が発表している平和23年度(2011年度)の国民医療費を見ると、なんと38兆5850億円、国民1人あたでは30万1900円にも達している。
となると、いまや医療費は年間40兆円以上に達しているはずで、これは現在の政府の税収とほぼ同じだ。さらに、あと10年後、団塊世代が75歳以上になる2925年には医療費は62兆円になると試算されている。こうなってしまうと日本の財政は本当にパンクする。
だから、診療報酬の改定は、今後も何回も行われるだろう。そして、患者側の負担はどんどん大きくなるだろう。そして、患者側の負担はどんどん大きくなる。これは止めようがない。
{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}
日本人の8割りは病院で死んできた-4
日本人の8割りは病院で死んできた-4
たとえば、日本老年医学会は2012年1月に、「経管栄養や器官切開、人工呼吸器装置などの適応は、慎重に検討されるべきである。
すなわち、なんらかの治療が、患者本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮すべきである」と、新しい立場表明を発表した。
「経管栄養」というのは、口から食べ物を摂ることが出来なくなった患者さんに対し、体外から消化管内に通したチューブを用いて流動食を投与する処置のことだ。これは主に「胃瘻(いろう)」で行われるが、これを「(胃瘻)など高度医療の投入は必ずしも最善の選択肢ではない」と言い切ったのだから、じつに画期的な路線転換だった。なお、「胃瘻」に関しては、別の章で詳しく述べさせていただく。
また、日本透析医学会も2013年1月に、終末期の患者家族が希望すれば透析の中止や開始の見合わせを可能とする提言をまとめた。
さらに、国の機関である社生保障制度改革国民会議は、報告書で死について言及し、次のような主旨のことを提言した。
「今後の医療のあり方は、医療提供者の側だけでなく医療を受ける国民の側がづ考え、なにを求めているかが大きな要素になる。超高齢社会に見合った{地域全体で治し、支える医療}が重要」
「医療側は、国民が納得し満足できる最期を迎えられるに支援すべきで、人間の尊厳ある死を視野に入れた{QOD(クオリティ・オブ・デス=死の質)を高める医療}を行うべきである」
「これまでの「病院完結型」の医療から{地域完結型}の医療への転換が必要」
などが提言に盛り込まれた。これは、ひと言でいえば「脱病院」ということになる。
つづく
日本人の8割りは病院で死んできた-3
上記は、前回ご案内のプレジデントの掲載記事です。
日本人の8割りは病院で死んできた-3
政府も医学界も「脱病院」に大転換
身も蓋もない話しだが、高年齢の患者さんは、どんな治療をしても治らない。死は老化であり、病気ではないからだ。老化を医療で治すことはできない。
延命治療が極限まで達した日本では、「助からない」と分かっていても、これが行われてきた。医者のほうもそれを行うことを自制しないできた。じつは、これは本人にとっても家族にとっても不幸なことなのだが、社会的にこれをやめさせようとするコンセンサスは確立さいず、病院は儲けることだけに走ってきた。
そこで政府は、医療費を減らすことと併せて、週末治療、とくに延命治療を止めさせる方向に、政策の舵を切ることになったのである。
厚労省は、「看取りの場所」を「病院」から「在宅」へ転換させることを決め、2012年を「地域包括ケア元年」と位置づけ、「在宅死」奨励のキャンペーンをはった。
その結果、最近では「治療は終わったので病院以外で療養してください」と、早期退院を求められるケースが多くなってきている。私のところにも、そういったそうした患者さんを持つご家族から、相談が持ちかけられるときがある。
政府の政策に併せ、医者の団体も声明を出して終末治療を見直すようになった。
{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}
雑誌記事のご案内
村長よりご案内
医師・富家孝顧問 の雑誌掲載情報をお知らせします。
掲載雑誌・プレジデント(2016年8月29日号)
記事タイトル
「医者の実力 こんなことをしたらヤブ!」
変な医者の見分け方について
宜しければご一読ください。
日本人の8割りは病院で死んできた-2
「死に方」格差社会(SB新書)より
第一章 大きく変わる日本人の「死に方」
日本人の8割りは病院で死んできた-2
このグラフ(図表1)には示さなかったが、アメリカは56・0%である。
日本で病院死が増えたのは、1950年代からで、戦後復興と高度成長によって病院と診療所が増えるにつれて病院死も比例して増え続け、1976年にはついに自宅死を上回ってしまった。そして、2000年代に入ると8割りを超えてしまったのである。
だから私たちは、病院で死ぬのが当たり前だと思っていた。しかし、欧州各国の例を持ち出すまでもなく、これは異常なことと言っていい。
欧州各国には、私たちとの死生観の違いもあるが、施設や集合住宅による介護施設を充実させ在宅医療も充実させて、人の「死に場所」を整えてきた歴史がある。だから、病院死が少ないのである。
しかし、日本ではそうしたことをおざなりにして、死をすべて病院に押し付けてきた。
高度成長時代は税収が豊かだったから、医療費をいくら膨らましても問題は生じなかった。たとえば1970ねんだいの初め、東京都の美濃部知事は、老人医療費の窓口負担をゼロにすることに踏み切った。これを受けて、田中角栄内閣も、70歳以上の老人医療費をゼロにしてしまった。
タダなら誰しも病院に行く。それまで病院で死んでいた高齢者は、こうして家族によって病院に入れられて死ぬことになった。しかし、政策は明らかに間違いで、1983年に老人保健を成立させて老人医療費の無料化を中止した。
しかし、国民保険制度があるため、医療費が少々かかる程度では、死を病院に押し付ける流れは止まらなかった。
病院は高齢者を受け入れれば入れるほど儲かるため、日本では延命治療が極限まで行われることになってしまったのである。
国家の政策は、私達の死生観に多きく影響する。いつの間にか日本では、人間は自然に年老いて死ぬという概念がなくなり、なんらかの病気で病院です死ぬということになってしまった。
いまでも病院では、家族が医師に向って、たとえそれがもう助からない高齢者でも、「できる限りのことはお願いします」と訴えることが多い。
こうして医療費は膨らむ一方になってしまった。
第一章 大きく変わる日本人の「死に方」
第一章 大きく変わる日本人の「死に方」
日本人の8割りは病院で死んできた
これから、私たち日本人の「死に方」は大きく変わろうとしている。「はじめに」で述べたような「2025年問題」「2035年問題」が控えているからだ。
そこでまずこの章では、これらの社会的問題を理解していただき、その後の章で「ではどうしたらいいだろうか?」ということを考えていきたい。
「2025年問題」「2035年問題」を簡単に言ってしまうと、「これからは病院でも老人ホームでも死ねない。もしかしたら自宅でも死ねない」ということになるだろう。
こう言うと、「まさか、ではどこで死ねばいいのですですか?」と驚かれる人が多いが、現在の国の状況、医療のあり方を見ていると確実にこうなるのは間違いない。
なぜ、こうなったのだろうか?
その一番の原因は、国の財政がひっ迫してニッチもサッチも行かなくなったからだ。
そのため、政府は現在、必死になって膨張する一方の医療費を削ろうとしている。つまり国の方針として私たちの死に方、死亡場所が変わるのである。
今日まで日本人の約8割が病院で死んできた。
上の「図表1」は、死亡場所を福祉社会が進んでいるとされる欧州各国と日本を比較したものだ。これを見れば分かるように、日本ではほとんどの人が病院で亡くなっている。ところが欧州各国では、「病院死」は少ない。多いとされるフランスでも58・1%と、5割を切っている。