私の周囲を見渡すと 「終活」という言葉はあっても、それを本当に実行している人は意外に少ない。 とくに、歳をとっても健康で仕事を続けている人は、大病をしたりしないかぎり、 死を意識することはほとんどないようだ。
これは本人ばかりか家族にも言えることで、 ご自身の親が元気なら、終活など口に出す雰囲気がはばかれる雰囲気がある。
しかし、 どんなに健康な人でも必ず死ぬ。 死は避けられない運命だ。
しかも、その死に方を私達は自分で選べない。 ガンで死ぬのか心臓病で死ぬのか、 自然に衰えて老衰死するのかもわからない。
また、 死に場所も、入院先の病院なのか、施設なのか、自宅なのかもわからない。
さらに大きな問題は、 死に方がその時代の社会のありかたの影響を大きく受けることである。 いい死に方をしたいというのは万人共通の願いであっても、 医療、福祉を含めた社会全体のシステムのなかで、 私たちは最期を迎えなければならないのである。
現在、私たちの死に方は、 日本社会の変化のなかで大きく変わろうとしている。 ひと言で言うと、今後、私たちは看取ってくれる家族がいようといまいと、 ほぼ自宅で死ななければならない運命にある。
「自宅で死ねるなんて幸せではないですか?」 と言われる方が多いが、じつはこれからの「自宅死」は いままでの自宅死とは大きく異なるのである。
{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}
つづく