私が自分の死を意識するようになったのは、 前記したように60歳を超えてからだが、 3年前、心臓のバイパス手術を受けてからは、 その意識がいっそう高まった。
2012年の暮れのこと、 私は胸に痛みを覚え、また、背中の痛みも感じた。 じつは、この8年前にも同じような痛みを感じて、 懇意にしている南淵明宏ドクターに連絡して、 心臓カーテル療法で冠動脈を正常化してもらったことがある。
だから、このときもまた心臓と直感して彼に連絡し、 大崎病院ハードセンターに急いだ。
南淵ドクターといえば、 「ブラックジャック」によろしく」に出てくる 心臓外科医・北三郎のモデルになった医師として有名な心臓外科医である。
検査してもらうと、冠動脈の主幹枝が90%詰まっていた。 それでも、心臓バイパス手術を受けて、ことなきを得た。 冠動脈が詰まることは突然起こることがあり、手遅れになることも多い。
幸い私は医者であるうえ、絞約感(こうやくかん)が2回目だったため、 懇意にしている南淵氏のような腕利きの医者の手術をすぐに受けることが出来た。
しかし、 もし、一般の方が胸部に絞約感を覚え、 それで近所の医者に行ったとしても、そのときに症状が治まっていれば、 助からないケースがままある。 とくに心電図検査で異常が認められなければ、 その日は、CTスキャン、心エコーなどの検査はほぼ行われない。
ところが、 その間に発作に見舞われて心筋梗塞を発症してしまうことは珍しくないのだ。
「もしかしたら私は死んでいるかも知れない」 「私はいったいどんなふうに死んだのだろうか?」
そう考えると、私にとって死がいままで以上に身近になったのである。
{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)より}
つづく