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{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)より}
第2章 死ぬとはどういうことなのか?
故人のアバターといつでも会話できる
いまやグーグルなど多くのIT企業は、人工頭脳(AI)の開発に注力している。すでに、コンピュータソフトがプロの将棋の棋士を負かす時代になっているから、AIは夢物語ではない。確実な未来になっている。
しかし、デジタル世界で人間が生き続けられるということは、私には想定外だった。考えてみれば、すでに生命科学の研究から「クローン人間」誕生の可能性は否定できなくなっているし、話題の「IPS細胞」も、そうしたことに結びつく研究だ。
しかし、映画『トランセンデンス』は、そのような生命としてのクローンができる前に、デジタルとしてのクローンが可能だということを措いている。つまり、もう人は死なない。
社会的には死なないと言えるのだ。人間の頭脳や心がデジタルで保存されれば、それは死んでいないのと同じだからである。
驚くべきことに、すでに、「デジタルクローン」をつくつてくれるネットサービスが登場している。たとえば、死んだ家族や親戚、友人とオンライン上で、コミュニケーションを取れるサービス「Eterni.me」というサイトがある。
故人のネットでの情報をできるかぎり収集し、それをアルゴリズム化、AI化し、故人の人格に似たアバターを作成する。こうすると、そのアバターと対話することができる。
遺族はいつでも故人のアバターを呼び出し、生前と変わらない会話まで楽しむことが可能だという。
現在、ネットには、たとえばグーグルでは、検索情報、見たページ、移動記録、スピード、フェイスブックなら友人関係、場所、好みなどが、ブログにはその人間の文章や考え方、アイデアなどが残されている。これを使えば、デジタルクローンはすぐにでもでき、そこに記録されたデータから会話することも可能なのだという。
これは本当に驚くべきことだ。そこで読者のみなさんにお訊きしたい。あなたは、デジタルとなって生き続ける道を選びますか?と。
次週は、死んだら私たちの心はどうなるのか?