デジタル時代に人間はいつまでも生き続ける


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「富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)」より。

デジタル時代に人間はいつまでも生き続ける

ここまでさまざまな死について考えてきたが、「人間は社会的動物である」という観点から考えると、死の別の面が見えてくる。それは、人間の死には生物学的な死とは別に「社会的な死」があるということである。
私たちは、社会のなかで生きている。だから、サラリーマンなら会社を定年で辞めたとき、一種の社会的な死を迎える。それまでの社会的なつながりがいったん絶たれるからだ。
しかし、引退後も地域社会や友人たちとのつながりのなかで生きるので、完全に社会とのつながりが絶たれるわけではない。
しかし、最近よく言われる「孤独死」は、こうした社会的なつながりが一切絶たれたなかで死んでいくことである。とすると、死には、次の三つのパターンがあるのではないかと私は考える。
一つは、いわゆる生物学的な死、「生物死」である。息を引き取り、この世からいなくなることである。しかし、その前にたとえば認知症になったりして頭脳が機能しなくなったときも、これは前段階としての死と考えられる。なぜなら、すでに人間らしい生活はできなくなっているからだ。これを「脳死」などと呼ぶ。そしてこの前に、前述したように、現役生活から引退し、家族も失えば、たとえ健康だろうと人間は死んでいるに等しい「社会死」がある。もちろん、この三つが同時に起こることもある。
このように思っていたら、「いまやデジタル時代ですから、社会死はなくなりました。
なぜなら、デジタル上では人間は死なないからです」と言われて驚いたことがある。そうして、勧められてSF映画『トランセンデンス』を観た。この映画は、ジョニl・デップ演ずる科学者のウィルが、彼の死後、妻によってスーパーコンピュータにアップロードされ、想像もしなかった進化を遂げていくという物語である。
っまり、ウィルは死後もデジタル上で生き続けるのだ。しかも、映画では、デジタル生命体となったウィルの頭脳や意識が進化を遂げていく。そうして、最終的に〃神の領域″へと近づいていき、元の彼ではなくなってしまうのである。
このように、デジタル上で生きる人間は、本当にかつてと同じ人間と言えるのか?彼の進化は人類の進化なのか?それとも破滅なのか?などということを、この映画は、私たちに問いかけている。