映画『母の身終い』が問いかける安楽死

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「富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)」より。

映画『母の身終い』が問いかける安楽死

2014年、『母の身終い』というフランス映画が日本で公開され、一部の高齢者の観客を中心に大きな波紋を巻き起こした。上映終了後、しばらく席を立てない観客がいて、最近の映画では見られない光景が起こつた。実際、私も上映終了後、しばらく考えさせられた。
この映画のテーマは、もちろん「安楽死」である。それが、淡々と措かれている。観客の多くは「こういった死に方」があることを知らないので、そのことに衝撃を受けたようだ。
映画『母の身終い』 の主人公は、刑務所を出所した48歳の長距離トラックのドライバーのアラン。アランは母のいる実家に戻り、人生のやり直しを試みるが、あるとき、母が不治の病に冒されていて、自ら死期を選ぼうとしているのを知る。すでに母は、医師の薬物処方による安楽死を認めているスイスのNPOの会員になり、手続きを済ませていた。
映画では、一切のお涙ちょうだい式の描写を排し、母が旅立つまでの日常が淡々と描かれる。そして、その日が来たとき、アランは母をスイスまでクルマで連れて行く。そこは、「自死の家」と言われる施設。そこで、母は死ぬ意思を確認され、クスリを渡される。クスリは約40分の間に、服薬者を安らかな死に誘う。
こうして母の死を看取ったアランは、何事もなかったように、クルマでフランスに帰っていく。
スイスでは、2005年に「患者の権利及び生の終末に関する法律」が成立し、世界から終末患者を受け入れてきた。
これ・まで、自らの意思で死ぬ「自死」のためにスイスを訪れた人間は1000人を超え、日本人も数人いると聞き、私は驚いた。これを「安楽死旅行(デス・ツーリズム)」と呼び、その多くはドイツ人とフランス人だという。
映画では、NPO施設の女性が最後に「あなたの人生は幸せでしたか? と訊く。この質問に「人生は人生ですから」と答え、母は静かに、そしてあっけなく死んでいく。誰にも迷惑をかけず、自分の人生を自分で閉じる。
日本では、末期ガンなどで不治の状況に陥っても、患者も家族も最後まで医師に「できるかぎりのことをしてください」と頼むケースのほうが多い。いくら尊厳死が認められているとはいえ、それを選ぶ患者さんはまだ少ない。
私たち人間は必ず死ぬ。そして、死を意識したときから、必ずどう死ぬかで悩む。ところが、多くの場合、その悩みを医師に打ち明ける患者さんは少ない。それでもし、「もういいです。早く死なせてください」と患者さんに訴えられたら、どうするだろうか?
医者だから当然、もう助からないのはわかっている。だから、患者さんの気持ちも痛いほどわかる。しかし、日本の医療倫理では、医師はいくら患者が望んでも、死に至る薬物などの処方はしてはいけないとされるのだ。
合理主義者なら、患者が死を免れないとしたら、できるかぎり安らかにそのときを迎えることは、患者にとっても家族にとっても、そして医者にとっても合理的選択であり、か
つ人間性を尊重したことになると考えるかもしれない。