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「富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)」より。
自分の意思で過剰治療を拒否する「尊厳死」
現代の終末治療、延命治療には多くの批判がある。それは主に、過剰治療であり、本人も家族もそこまで望んでいないのではないかという批判だ。
いったん病院に入ると、自然死をさせてくれない。前記したように、水分や栄養物が人工的に注入され、そのために体は水ぶくれの状態になり、枯れ木のようになっておだやかに死んでいくことができない。この過剰治療により、本来なら衰えていく体は無理やり生かされ、それは患者にとっては苦痛でもあるというのだ。
もちろん、患者には過剰な延命治療を拒否する権利がある。回復不可能となった場合、患者の意思が明確であれば、医療行為を中止しても、医者は罪を問われない。アメリカでは1977年にカリフォルニア州で「自然死法」が成立して、医者は患者が自然に死んでいくことを尊重することになった。
日本でもこの考え方は広がり、言葉を換えて「尊厳死」と呼ぶようになった。そしていまでは尊厳死が一般化し、尊厳死を選択する人が多くなってきている。
前出の中村医師と同じような立場から、特別養護老人ホーム常勤医の石飛幸三氏は『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社文庫、2013)を出され、終末期の高齢者に過剰な水分や栄養を与えて穏やかな最期を迎えられなくしていると訴えている。また、「平穏死できない現実を知ろう」「救急車を呼ぶ意味を考えよう」と、兵庫・尼崎市で在宅医療を続ける長尾和宏氏.(日本尊厳死協会関西支部長)も、訴えている。長尾氏には、このSB新書に『寝たきぃにならず、自宅で「平穏死」』(SBクリエイティプ、2015)という著書がある。
いずれも、私たちがどうやって死ぬかを考えるときに、欠かせない本である。
医師の立場から言って、私はいまの日本で死に方を選ぶとしたら、大きく2パターンしかないと考えている。一つは、自然に訪れる死をそのまま受け入れること。それがどんなかたちであろうと、自然のなすがままに死ぬことである。そして、もう一つは、いわゆる尊厳死と呼ばれる、自分の意思で自然死を選択することである。
ところが、この尊厳死のうち、日本では積極的な死とされる「安楽死」は許されていない。
日本の場合、尊厳死は、1995年の東海大学事件判決により、「消極的安楽死」と「間接的安楽死」の2パターンしか認められていない。前者は、患者・家族の意思で延命治療を中止すること。後者は、苦痛から解放する治療をして、それが生命の短縮につながったら仕方ないというものだ。
しかし、本当に患者の意思を尊重するなら、安楽死も認めてはいいのではないかという意見もある。
とくに、世界の先進国では安楽死まで認めている例が多い。