{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)より}
第2章 死ぬとはどういうことなのか?
なぜ「老衰」で死ぬ人が減ったのか?
人は老いれば死ぬ。だから、ほぼすべての老いた死は「老衰」である。
ところが、第1章で触れたように、老衰は死亡原因全体のたった4・8%にすぎない。
厚労省の「都道府県別生命表の概況」によれば、老衰による男性の死因別死亡確率は全国平均で2・10%、同じく女性の死因別死亡確率は全国平均で6・29%である。
これは、、医療技術が発達したために、人が死んだ際にはほぼ必ず疾患が発見されるからである。つまり、医学的には疾患の病名を死因とするようになり、病気ではない老衰を原因としなくなってしまったからだ。そのため、いまでは平均寿命以上に生きた高齢者が、さしたる疾患が見つからずに死んだときにしか、死亡診断書に老衰とは書かなくなってしまった。
本来の死を考えたとき、一般的にはこれはおかしいと思うが、医者の立場ではこれが常識となっている。死亡診断書を書くとき、医者は「なるべく老衰と書かないように」という教育を法医学などの講義で受けている。
人の死はその形態によって何種類かに分類される.。自然死、病死、災害死、事故死、自殺、他殺などである。そして、医学的に見た死の原因は、死に至る基本的病態にしたが
って分けられ、具体的滋疾患名が死因とされる。 l
そこで、老衰に話を戻すと、これは自然死であるとして、疾痛などの原因がなく自然に死に至った「自然死」ということになる。
そこで思うが、多くの医者は人間が自然に死ぬということを知らない。医者は病院で、末期ガンや脳疾患などで死んでいく人しか見ていないので、自然に死んでいくということに関しては経験も知識もあまりないのである。
このことはかなり重要なことだと思うが、世間はそうは思っていない。この世界にはプロフェッショナルな職業がいっぱいある。いわゆるプロと呼ばれる人々がいる。
しかし、医者は病気のプロではあっても、死のプロではない。
だから、あなたがいくら自然に穏やかに死んでいきたいと願っても、多くの医者はそうさせてくれないと思ったほうがよい。また、死に関しては個々人の「死生観」が非常に大切と思うが、これに関しても医者はプロではない。
このことに関しては、後述するとして、まず、あせたが死んだとき、死亡診断書がどう書かれるから述べてみたい。