「死に方」格差社会(SB新書)より
第一章 大きく変わる日本人の「死に方」
日本人の8割りは病院で死んできた-2
このグラフ(図表1)には示さなかったが、アメリカは56・0%である。
日本で病院死が増えたのは、1950年代からで、戦後復興と高度成長によって病院と診療所が増えるにつれて病院死も比例して増え続け、1976年にはついに自宅死を上回ってしまった。そして、2000年代に入ると8割りを超えてしまったのである。
だから私たちは、病院で死ぬのが当たり前だと思っていた。しかし、欧州各国の例を持ち出すまでもなく、これは異常なことと言っていい。
欧州各国には、私たちとの死生観の違いもあるが、施設や集合住宅による介護施設を充実させ在宅医療も充実させて、人の「死に場所」を整えてきた歴史がある。だから、病院死が少ないのである。
しかし、日本ではそうしたことをおざなりにして、死をすべて病院に押し付けてきた。
高度成長時代は税収が豊かだったから、医療費をいくら膨らましても問題は生じなかった。たとえば1970ねんだいの初め、東京都の美濃部知事は、老人医療費の窓口負担をゼロにすることに踏み切った。これを受けて、田中角栄内閣も、70歳以上の老人医療費をゼロにしてしまった。
タダなら誰しも病院に行く。それまで病院で死んでいた高齢者は、こうして家族によって病院に入れられて死ぬことになった。しかし、政策は明らかに間違いで、1983年に老人保健を成立させて老人医療費の無料化を中止した。
しかし、国民保険制度があるため、医療費が少々かかる程度では、死を病院に押し付ける流れは止まらなかった。
病院は高齢者を受け入れれば入れるほど儲かるため、日本では延命治療が極限まで行われることになってしまったのである。
国家の政策は、私達の死生観に多きく影響する。いつの間にか日本では、人間は自然に年老いて死ぬという概念がなくなり、なんらかの病気で病院です死ぬということになってしまった。
いまでも病院では、家族が医師に向って、たとえそれがもう助からない高齢者でも、「できる限りのことはお願いします」と訴えることが多い。
こうして医療費は膨らむ一方になってしまった。