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医療費が払えない患者は病院を追い出されれるー1

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 医療費が払えない患者は病院を追い出されれるー1

 それでは、国が自宅介護を強要し、医師もベッド数も足りなくなった社会では、なにが起こるのだろうか?
車いすや寝たきりになった老人を引き取って、自宅で介護できる余裕のある家庭は多くない。とくに老々介護となったら、在宅介護はほぼ無理といえる。
そんな中でベッド数が減ってゆくのだから、病院を追い出されたら、在宅介護ができない家庭は、介護付きの老人ホームか特養にいれるしかない。しかし、前記したように、老人ホームや特養は順番待ちのところばかりである。と、なると、お手上げになる。
「脱病院」への厚労省の医療方針変更を、朝日新聞は、今後の高齢者医療の姿は、「時々入院、ほぼ在宅」と書いた。これからは患者が自宅や施設で暮すのが基本となり、入院が必要でも極力短期間になるから、これは実にうまい表現だった。しかし、「時々入院、ほぼ在宅」できるのは、恵まれた家庭だけだ。介護付きの老人ホームか特養は、最低でも月20万はかかる。
こうなると、この費用負担ができない高齢者は、行き場がなくなってしまう。つまり、これからは、この章の冒頭で述べたように、「病院でも老人ホームでも死ねない。もしかしたら自宅でも死ねない」という現実が、私たちを襲ってくる。


「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-3

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 「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-3

 医師が不足するということは専門医が足りないということである。ガンの専門医、腫瘍内科医、緩和ケア医、放射線治療医などが足りないことである。となると、糖尿病や髙血圧など複数の病気を抱えた患者などに対して、病院側は受け入れに慎重にならざるを得ない。
高齢社會というのは、重篤な合併症を抱えた患者が増える社会である。しかし、これに病院は対応できないのだ。だから、そうした患者さんも専門医でない一般病院で診ることになり、さらに、持てあまされて病院から追い出されることが起こり得るであろう。
日本は2005年から人口減少社会に転じたが、その一方で、65歳以上の高齢者数については2040年ごろまで増え続けると推定されている。となると、今後起こるのは、医者が足りない、ベッドが足りないわけだから、たとえば、救急車で運ばれてきても受け入れなくなってしまうという事態だ。かって急患のたらいまわしが問題になったことがあるが、2025年にはたらいまわしすらできずに放置されてしまうことが起こりかねない。


「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-2

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SB新書「死に方」格差社会
著者・富家孝
発行・SBクリエティブ株式会社
定価・800円・本体+税
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「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-2

ところが厚労省は長い間、日本の医師数は足りているいう姿勢を崩してこなかった。
「医師数は過剰、偏在だけが問題」として、数学的に不足が明らかになると、これまで65歳まででカウントし、あくまで「医師不足でない」と言い張ってきた。この辺の欺瞞や、医療格差。医療崩壊の現実は永田弘氏の著書「貧乏人は医者にかかるな! 医師不足が招く医療崩壊」(集英社新書、2007)に詳しく書かれているので、興味のある方は一読をお勧めしたい。
2010年、厚労省はこれはまずいと思ったのか、初めて医師数の不足を認め、その後、医学部の定員削減の見直しを行うことになった。さらに、臨床研修制度についても、医師不足や地域医療に配慮した特別プログラムの実施や、期間短縮を視野に入れた計画を打ち出した。
しかし、医学部の増加は、全国の11大學で各10人増という微々たるものだから、2025年にはさらに医師が不足する。


「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-1

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 「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」-1

 「2025年問題」には、さらに別の側面がある。
それは、日本では医者の絶対数が足りない、人口数に比べて医師数が絶対的に足りない「医師不足」という現実だ。
2015年の統計によると、日本の医師数は30万3268人、このうち、医師として働いているのは28万8850人で、人口1000人あたりの医師数に換算すると2・3人となる。これはOECD加盟国34ケ国中下から6番目でトップのギリシャの6・2人の半分にも満たない。また加盟国の医師数の平均と比べると、12万人も不足している。
その結果、なにが起こっているかというと、医師の勤務時間が長くなり、病院がブラック企業化してしまっているのだ。
日本医療労働組合連合会が病院に勤務する医師を対象に行った調査によると、約3割の医師が「過労死ライン」である月80時間以上の時間外労働を行っていた。また、約7割を超える医師が宿直と日直を合わせた32時間連続の勤務を月に3回も行っている。


「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-3

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「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-3

 家族の負担からいえば「老介護」という現実からみると、もっとも困るのが、「親一人子一人」という所帯だろう。こうした所帯は現在どんどん増えているが、親の認知症がどんどん進んだ場合、自宅介護となれば子供の生活は物理的にも経済的にも成り立たなくなる可能性がある。これが原因になるのが「2030年問題」である。
「はじめに」で述べたように、認知症患者は2035年になると倍増して約1000万人に達すると見られている。認知症の高齢者を抱える
家族の苦労は並大抵ではない。
ここに寝たきりが重なれば、どうなるかは明らかだろう。
この項終り、次項は「医師数が足りず患者の門前払いが起こる」


「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-2

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「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-2

 いずれもピンピンコロリではない。第6位にやっと老衰が来て、10人中約0.5人である。老衰以外はみな、病院にお世話になる死に方だ。つまり、ピンピンコロリという理想的な死に方、「直前まで元気で健康なこと」「家族に迷惑をかけないこと」は、ほとんど実現しない。
たとえば、心筋梗塞や脳梗塞で倒れると、救急車で病院に運ばれる。運ばれた先の病院では、高度治療が行われるので、助かれば結果的にリハビリ生活になる可能性が高い。こうなると、介護施設や家族の介護を受け、最終的に衰えて死期を迎えるというパターンになる。
また、ガンの場合も、発見後に手術を受けるが、進行ガンや末期ガンだと、抗ガン剤や放射線治療の副作用のなかで、病院や施設で死んでゆくことになる。
「病院死は不幸で在宅死は幸せ」と、これまでは思われてきた。しかし、この考え方を大きく転換しなければならないところに、私たちは追い込まれているのである。


「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-1

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「ピンピンコロリ」で死ねるケースは少ない-1

ここでピンピンコロリという死に方について述べると、このような理想的な死に方はほぼできないと思われたほうがいい。
よく「自宅で死にたい。家族に見守られて畳の上で死にたい」と言う人がいるが、これは現代においてはかなわないと思われたほうがいい。まして、病気に苦しむことなく元気で長生きし、ある日、コロリと死ぬピンピンコロリはもっとかなわないと思ったほうがいい。最近では寝たきりで死んでいく「ネンコロリ」という言葉があるが、これのほうがよほど現実的だ。
読者のみなさんにお訊きしたいが、周囲を見回してピンピンコロリで死なれた方がいるだろうか? たとえば、ある日、突然倒れてそのまま搬送された病院であっさり息を引き取る。それまで普通に暮らしていて、ある朝家族が死んでいるのを発見した。こういう例をご存知だろうか? もちろん、こういう例はあるにはあるが、実際は少ないのだ。
私の父は動脈瘤破裂を起こしてほぼ突然死だったので、ピンピンコロリと言えるかもしれないが、ほかの親族はガンで、入院治療後、病院で死んでいる。いずれもピンピンコロリではない。
現在、日本人の死因の第一位はガンである。主な死因別死亡数の割合だが、悪性新生物(ガン)が28・7%となっている。つまり、10人のうち約3人がガンで死んでいる。第2位は心疾患で約1・5人、第3位は肺炎で約1人、第4位は脳血管疾患で約1人(平成23年厚生労働省統計)となっている。ちなみに、第5位は不慮の事故である。


「国と医療側は「3段階での死」を考えている-3

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「国と医療側は「3段階での死」を考えている-3

 とくに寝たきりから回復の望みがないとすれば、「介護つき老人ホーム」「特別養護ホーム」というコースもある。しかし、民間の有料老人ホームは現在、圧倒的に足りていない。とくに、特養はどこでも順番待ちである。
では、第三段階とは何だろうか?
これは、ずばり「自宅」である。一般病床、療養病床を出た患者さんは、介護施設が受け入れてくれなければ、自宅に戻るほかないからだ、つまり、「在宅介護」が第三段階となる。
ここまで述べてきたら分かるように、今後、在宅介護はさらに進む。つまり、寝たきりになっても病院でも施設でも死ねないということだ。
よく、「自宅で死ねたら幸せです」と言う方がいるが、それは、元気で長生きして自然に死ぬか、あるいは「ピンピンコロリ」で、ある日突然お迎えが来ることをイメージしているから、言えることである。
しかし、そんなケースは稀であり、多くの人は年老いて何らかの病気を発症し、今まで通りの暮らしが出来なくなる。そうして病院に行くことになり、そこで治療を受け、回復が見込めなければ追い出される。そうして、療養病床で過ごしても見込みがなければ、またもい出されて、施設に行くか自宅に戻らねばならないのだ。
これまでは、病院がひきとってくれた。しかし、それができないということになる。


「国と医療側は「3段階での死」を考えている-2

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「国と医療側は「3段階での死」を考えている-2

 この第2段階は、前記したように2006年の医療制度の改正で出来たわけだ。この年から、介護保険では介護医療病床を廃止し、医療病床と一般病床のみになった。また、一般病床での人員基準や在院日数などが厳しくなった。
この一般病床と医療病床について、「一般病床と医療病床とどう違うのですか?」と、私はいまもよく聞かれる。そこで、そういうときは次のように説明している。
「一般病床で扱うのは急患で徹底した治療が必要な患者さんです。この治療が終わると、症状は慢性期に入ります。これは、治療が困難な状態が長時間にわたって持続するということで、平たくいうと、”寝たきり”ということです。ですから、寝たきりが続くと、患者さんは一般病床から追い出され、療養病床に移されるのです」
こうして、死の第二段階といえる医療病床への転院で、多くの人が初めて死を間近に意識するようになる。これは本人も家族も同じだ。


国と「医療側」は3段階での死」を考えている。-1

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   国と「医療側」は3段階での死」を考えている。-1

 このような国の政策は、「2025年問題」を見据えた措置だが、では、国と医療側は、どのように私たちの死を考えているのだるか?
現在、自分がどうやって死んでいくのか? イメージできない人が激増している。いまは65歳以上の高齢者でも元気で暮らしている人が多い。だから、ご自分も家族も死ぬことについては、縁起でもないのでほとんど話題にしないと思う。家族に病気がちなご老人、認知症のご老人がいないかぎり、死はわたしたちにとって身近ではない。
しかし、そうしていると、今後は、家族やご自身が突然、病気になったときに対処できなくなるだろう。
現代の日本人の死に方は、医療側から見ると、3段階になっている。まず、突然死以外、どんな人間も病院のお世話になる。ここでは医者によってガンならガン、心臓病なら心臓疾患の手術を含めた治療が行われる。その結果、回復すれば退院して自宅に戻れるが、回復が遅いかあるいは長期療養と判断された人間は、医療病床がある病院に移ることになる。もちろん、両方備えた医療機関もあるが、大半は一般病床だけなので、ここで病院を移る。これがリハビリを行う第2段階である。