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どんなクスリにも必ず副作用がある-2


富家孝講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。
{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会より}

第3章 「老化」と「病気」は違うもの

どんなクスリにも必ず副作用がある-2
これは、街のドラックストアなどで販売されている風邪薬も同じだ。
副作用に関して言うと、抗生物質、抗ウイルス剤の副作用はとくに強い。それは、標的となる病原菌だけでなく、たとえば体内のビフィズス菌などの有用菌も殺してしまうからだ。そのため、腸内環境を悪化させ、病気の治癒に必要な免疫力を低下させてしまう可能性がある。
日本は抗生物質の処方量が、欧米諸国に比べて突出して多い。欧米の医者は抗生物質をほとんど出さない。それは、最近の研究で抗生物質の副作用が問題視されているからだ。
たとえば、日本の医者が風邪でよく出すタラリスはヾ心臓によくないとされ、高血圧、糖尿病などの心臓病のリスクをかかえる人が服用すると、突然死の恐れがある。
抗ガン剤も同じで、吐き気がする、毛髪が抜けるというような副作用を引き起こす。この副作用の強さから、かえって体を壊してしまうガン患者さんも多い。
というわけで、風邪を治すには、病院より、私たちが伝統的にしてきた「やり方」がいちばんいいと言える。前記したように、十分な水分と栄養、そして休養を取ること、それが第一である。いわゆる民間療法と呼ばれるものは、世界各国にあるが、そのすべてに共通しているのは、風邪を体全体の不調のサインと捉え、人間が持つ自然治癒力を引き出そ
ぅとしていることだ。
たとえば、日本では、しようが湯、葛湯などを、水分補給と栄養補給を併せて飲むことが多い。風邪の代表的な漢方薬「葛根湯(かっこうんとう)」は葛の葛の根が主成分である。また、ハチミツ湯やレモン湯なども効果がある。
欧米では、「ginger tea with lemon and honey と言って「ハチミツレモンしようが湯」がよく飲まれている。また、アメリカ人は、「おばあちやんのクスリ」として、市販薬よりチキンスープをよく飲む。チキンスープも滋養に富み、水分を補給して体を温めてくれるので効果は大きい。


どんなクスリにも必ず副作用がある-1


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第3章 「老化」と「病気」は違うもの

どんなクスリにも必ず副作用がある-1

「風邪を治すクスリはない」ということは、西洋医学、つまり、日ごろ私たちが病院に行って診てもらっている治療法には限界があるということを表している。ガンもまた同じである。
西洋医学というのは、痛気の原因を徹底して追求し、それを確定させて治療を行うといぅパターンになっている。となると、それが臓器や組織の疾患なら外科手術になり、またウィルスや細菌なら、それを徹底してやっつけようということになってクスリが開発される。
そうして開発されたクスリは、万人型であり、一つの症状や痛気に対して強い効果がある。その成分はたいていの場合一つで、たとえば血圧を下げたり、熱を下げたり、細菌を殺したりする。
ところが、クスリには必ず副作用がある。
前記したように病院で風邪に処方されるクスリは、すべて個々の症状を緩和するクスリ、つまり対症療法にすぎない。それなのに、医者は、総合感冒薬から解熱剤、咳止め薬など、
何種類も出す場合が多い。
アスピリン、イブプロフェンなどの非ステロイド系抗炎症剤などはとくに多く使われている。
しかし、これらには必ず副作用がある。いちばんよく知られているのは、「眠気をもよおす」ことだろう。これは、クスリのなかに入っている成分、〝抗ヒスタミン剤〟の副作用で、ほかに、喉の渇きや、だるさ、人によっては目眩いや吐き気といった副作用が出る。

 


医者は風邪を引いてもクスリを飲まない-2

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第3章 「老化」と「病気」は違うもの

医者は風邪を引いてもクスリを飲まない-2

風邪薬は完治薬ではなく、症状を和らげるだけの対処薬なのである。つまり、咳や鼻水を抑える効果のあるクスリである。現在の医学では、まだ風邪を完治させるクスリはできておらず、対処薬といっても、その多くはほとんど偶然にできたものなのだ。
そこで、風邪とはいったいどんな病気なのか?を知る必要がある。
残念なことに、風邪には病気としての明確な定義がない。わかっているのは、ウイルスが風邪を引き起こすことで、風邪を引き起こすウイルスは200以上もあるとされていることだけだ。
このウイルスによって、上気道(鼻から喉にかけての間)が感染症に冒された状態を風邪と呼んでいる。インフルエンザもウイルスによる感染だが、風邪に比べて感染力が強く、症状は風邪より重い。
風邪の3大症状とされるのが、「咳、鼻水、のどの痛み」の三つである。これらの三つが1~2日の問に同時に起きたら風邪だと診断される。この3症状を伴わないで、下痢をしたり、熱が出たりした場合は、医者は風邪以外の疾患を考える。
それでは、なぜ風邪薬は症状を和らげることしかできないのだろうか?
よく風邪で抗生物質をもらいたがる患者さんがいる。「先生、抗生物質を出してください」と、はっきり言われる患者さんがいるが、こういう方は大きな勘違いをしている。なぜなら、ウイルスには抗生物質はまったく効かないからだ。抗生物質が叩けるのは細菌(バクテリア)だけなのだ。
ウイルスは細菌より小さく、ヒトや動物などの細胞のなかに入り込んで増殖する。そのため、攻撃しょうとすると、ウイルスが入り込んだ細胞そのものを破壊してしまうのでクスリには手に負えない。抗生物質と同じような抗ウイルス剤というものがある。こちらは抗生物質が細菌を直接殺すのに対して、ウイルスが増えるのを阻止する薬である。抗ガン剤もこの抗ウイルス剤の一種なので、ガンそのものに直接効くわけではない。
このように、クスリだけでは病気は治らない。病気を治すには、私たちが持つ免疫力を高めなければならないのだ。つまり、老化が引き起こす病気は完治はしないと知っておくべきである。


 医者は風邪を引いてもクスリを飲まない-1

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第3章 「老化」と「病気」は違うもの

医者は風邪を引いてもクスリを飲まない-1

このような人間の体のメカニズムから言えるのは、じつは多くの病気は医学的な処置やクスリでは、根本的には治らないということである…
このことは、私たちが「死に方」を考えるとき極めて重要なことなので、ここからは風邪を例にとって説明してみたい。
ちょっとした風邪でもすぐに病院に行く人がいる。咳や鼻水が出ただけでも、病院に行けばなんらかの治療をしてくれる。場合によっては注射を打ってくれ、間違いなくクスリをくれるので、病院に行くのが風邪を治す早道だと、たいていの方が思っている。しかし、医者、看護師、薬剤師などは、単なる風邪のときは病院に行かないし、クスリもほぼ飲まない。この私も、もちろんそうである。
なぜなのだろうか?
それは、医者は風邪を根本的には治せないからであり、風邪が治るのは、多くの場合、医者や医学の力ではなく、人間の体が本来持っている自然治癒力、免疫力によってだからである。
医者ができるのは、風邪の症状を軽くし、そのうえで回復を早めるためのサポートだけである。このことを医者は患者さんに明確には告げない。そんなことをしたら、商売が成り立たなくなるからだ。
もし、あなたがかかった医者がヤプ医者なら、検査とクスリ漬けでかえって症状を悪くしてしまう可能性だってある。
こう言うと、「それではなぜ、お医者さんは、重くなると肺炎になることもあるので痛院に行くようにと言うのですか?それにインフルエンザなら、タミフルのような抗ウイルス薬があるではないですか?」と、よく訊かれる。
しかし、風邪でもインフルエンザでも、圧倒的大多数の方は自宅療養で普通に回復する。
インフルエンザは、風邪の一種と解釈できるが、最近は毎年冬になるとニュースで大々的に取り上げられるため、重病と思っている方が多い。しかし、インフルエンザでも、その多くは普通に治るのだ。十箸水分と栄養そして休養をとれば、お年寄りでなければほぼ回復する。それが、免疫の力だ。
インフルエンザの特効薬と言われるタミフルが登場したのは、ここ川年ほどのことである。それ以前は、インフ~エンザにかかっても風邪と同じょうな治療法しかなかった。しかし、それで治ったのである。だから、タミフルが登場して、それでインフルエンザが治るようになったわけではない。タミフ~はインフルエンザのウイ~スの力を弱める働きをしているだけなのである。
朗邪薬には効能書きに「効く」とは書かれているが、「治る」とは書かれていない。
では、なぜ医者は風邪を引いて病院に来た患者さんに、クスリを処方するのだろうか?
それは、風邪薬には症状を和らげる作用があるからだ。つまり、私たちがよく飲む風邪
風邪薬は症状を和らげる効果しかない
風邪やインフルエンザを治すクスリは存在しない。
風邪薬やインフ~エンザの薬は「効く」だけで、「治す」ことはできない。だから、


病気は「免疫力」の低下で発症する-2

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第3章 「老化」と「病気」は違うもの

病気は「免疫力」の低下で発症する-2

2015年5月末から、お隣の韓国でMERS(マーズ‥中東呼吸器感染症)が大流行したが、発症者は高齢者が多く、死者も高齢者がほとんどだった。これも、高齢になると免疫力が低下するからである。
老化にともなう変化がもっともよく現れるのは、T細胞(胸腺=Thymusの頭文字を取りT細胞と命名) である。T細胞は、免疫力の中心的司令塔となる細胞で、骨髄でつくられ、胸腺で異物攻撃の教育を受けて体内に送り出される。T細胞は、NK細胞やマクロファージと違って、もともと攻撃力を持っていない。攻撃すべき相手に合わせて攻撃力を持つ。だから、免疫力の総合司令塔と言えるのだ。
ところが、T細胞の補充はほとんど新生児期にかぎられ、その後は十分に補充されない。
とくに、T細胞の養成器官である胸腺は老化がもっとも早い器官で、思春期がピーク。その後は、萎縮を続けて脂肪細胞に変わってしまう。
こうしたことから、人間は歳をとればとるほど病気にかかりやすくなるのである。


病気は「免疫力」の低下で発症する-1

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{富家孝著・SB新書「死に方」格差社会(本体800円)より}

第3章 「老化」と「病気」は違うもの

病気は「免疫力」の低下で発症する-1

私たちは病気で死ぬのではない。老化して死ぬのである。この辺のところを多くの人が誤解している。
第2章で死亡診断書を取り上げ、「死因」について説明したのでおわかりの人もいると思うが、老化するから病気にかかりやすくなる。そして、その病気が原因となって死亡する。したがって、いくら病気を治しても老化が進めば、私たちは死んでいくのである。
ではなぜ、老化すると病気にかかりやすくなるのだろうか?
それは、私たちが本来持っている「自然治癒力」-(免疫力)が低下するからである。一般的に免疫力は加齢やストレスなどによって低下する。免疫力が低下すると、単純に疲れやすくなる。歳をとると若い頃とは違って、なにをするにもおっくうになるが、それはやはり免疫力が低下したからだ。
人間の免疫力は20歳前後がピークと言われ、40歳からは下降線をたどっていく。このような年齢による免疫力の低下は、残念ながら誰にでも起こる自然な現象であり、これに逆らうことは不可能とされている。
免疫力の低下は、主に私たちの健康を守る免疫細胞(NK珊胞)の減少によって起こる。
NK細胞(ナチュラルキラー細胞) は、ガン細胞を攻撃することでよく知られているが、15歳前後をピークに減少する。また、大食い細胞と言われるマクロファージも減少する。
マクロファージは、白血球の1種で、体内に入ってきた細菌などの異物を捕らえて細胞内で消化する。つまり、体内の清掃屋さんとも言うべき存在で、それが加齢とともに少なくなってしまうのだ。
こうなると風邪やインフルエンザなどのウイルスに感染しやすくなり、さらにはガンや肺炎など生命にかかわる病気も発症しやすくなる。


死んだら私たちの心はどうなるのか?-2

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  第2章 死ぬとはどういうことなのか?

 死んだら私たちの心はどうなるのか?-2

この番組で、立花氏は、「死ねば、心も消える」という結論に達している。よく言われる臨死体験も、単なる脳の活動としている。臨死体験ではまず「体外離脱」と呼ばれる現象が起こり、天井付近からベッドに横たわる自分や医者を見る。その後、トンネルのような場所を通って光輝く美しい世界へと導かれる。
しかし、これは実際の体験ではなく、脳内現象に過ぎないという。また、フォールスメモリー(偽記憶)と言って、ネズミの脳に実際にしていないことを植え付ける実験も紹介された。そして圧巻は、ウィスコンシン大学のジュリオ・トノーニ教授の意識研究の紹介だ。トノーこ教授は、これまで突き止められなかった脳内で意識(つまり心)が生まれるメカニズムを、現在、実証しっつある。
トノーこ教授の理論によると、脳の中には熱い・寒いなどの感覚に関する情報や、楽しい・悲しいなどの感情、過去の出来事の記憶など膨大な情報がある。これらの情報は複雑に繋がり蜘妹の巣のようになっている。このまとまりが意識だというのだ。つまり意識は、脳内の特定の部位、細胞にあるのではなく、神経細胞が複雑な繋がり方をして一つに統合されたときに生まれるというのである。これを、統合情報理論と呼ぶ。トノーニ教授は、これを脳内に微弱な電流を流すことで実証実験している。
複雑な繋がりこそが意識。もし、それが本当なら、鳥や動物、昆虫でも脳内には複雑な繋がりあるので、それに応じた意識があることになる。また、機械でも複雑な繋がりを持つもの(超コンピュータ)なら意識が生まれることになる。
つまり、複雑な繋がりが消滅すれば心も消えるのだ。結局、人は死ぬ。心も死ぬのである。私としては、医者という立場を離れても、人間はそれでいいのだと思う。


 死んだら私たちの心はどうなるのか?-1

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第2章 死ぬとはどういうことなのか?

死んだら私たちの心はどうなるのか?-1

デジタルでは生き続けられるとしても、それは自分ではない。生命ではない。そこで、やはり気になるのは、私たちは死んだらどうなるだろうか?ということである。
最近は、医者も「死後の世界」に関して大いに興味を持っている。なにしろ、東大出の優秀な臨床医が 『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』(バジリコ、2011)というベストセラーを書く時代である。この本は新興宗教本という批判もあるが、著者・矢作直樹氏は次のように言っている。
「死は終わりではありません。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当はなにも怖がる必要はないのです」
つまり、死後の世界はあるというのだ。
しかし、死後の世界があるとするなら、医療行為はなんのためにするのか?という疑問に突き当たる。人は死なないのなら、延命治療の意味がなくなつてしまう。つまり、肉体は滅んでも魂、霊は残るというなら、医療は肉体だけを助けるための行為ということになってしまう。
近年、以前に増してスピリチュアルなことに、人々の関心が向くようになった。医学界でも、臨死体験の研究が進んでいる。なにしろ、国際臨死体験学会もできている。これは、医療が進歩したために、蘇生技術が発達し、死の間際から生還する人が格段に増えたからだ。
NHKの番組でも、評論家の立花隆氏をリポーターとして『臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか』 が2013年秋に放映されて大きな反響を呼んだ。


故人のアバターといつでも会話できる

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第2章 死ぬとはどういうことなのか?

故人のアバターといつでも会話できる

いまやグーグルなど多くのIT企業は、人工頭脳(AI)の開発に注力している。すでに、コンピュータソフトがプロの将棋の棋士を負かす時代になっているから、AIは夢物語ではない。確実な未来になっている。
しかし、デジタル世界で人間が生き続けられるということは、私には想定外だった。考えてみれば、すでに生命科学の研究から「クローン人間」誕生の可能性は否定できなくなっているし、話題の「IPS細胞」も、そうしたことに結びつく研究だ。
しかし、映画『トランセンデンス』は、そのような生命としてのクローンができる前に、デジタルとしてのクローンが可能だということを措いている。つまり、もう人は死なない。
社会的には死なないと言えるのだ。人間の頭脳や心がデジタルで保存されれば、それは死んでいないのと同じだからである。
驚くべきことに、すでに、「デジタルクローン」をつくつてくれるネットサービスが登場している。たとえば、死んだ家族や親戚、友人とオンライン上で、コミュニケーションを取れるサービス「Eterni.me」というサイトがある。
故人のネットでの情報をできるかぎり収集し、それをアルゴリズム化、AI化し、故人の人格に似たアバターを作成する。こうすると、そのアバターと対話することができる。
遺族はいつでも故人のアバターを呼び出し、生前と変わらない会話まで楽しむことが可能だという。
現在、ネットには、たとえばグーグルでは、検索情報、見たページ、移動記録、スピード、フェイスブックなら友人関係、場所、好みなどが、ブログにはその人間の文章や考え方、アイデアなどが残されている。これを使えば、デジタルクローンはすぐにでもでき、そこに記録されたデータから会話することも可能なのだという。
これは本当に驚くべきことだ。そこで読者のみなさんにお訊きしたい。あなたは、デジタルとなって生き続ける道を選びますか?と。

次週は、死んだら私たちの心はどうなるのか?


 デジタル時代に人間はいつまでも生き続ける


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デジタル時代に人間はいつまでも生き続ける

ここまでさまざまな死について考えてきたが、「人間は社会的動物である」という観点から考えると、死の別の面が見えてくる。それは、人間の死には生物学的な死とは別に「社会的な死」があるということである。
私たちは、社会のなかで生きている。だから、サラリーマンなら会社を定年で辞めたとき、一種の社会的な死を迎える。それまでの社会的なつながりがいったん絶たれるからだ。
しかし、引退後も地域社会や友人たちとのつながりのなかで生きるので、完全に社会とのつながりが絶たれるわけではない。
しかし、最近よく言われる「孤独死」は、こうした社会的なつながりが一切絶たれたなかで死んでいくことである。とすると、死には、次の三つのパターンがあるのではないかと私は考える。
一つは、いわゆる生物学的な死、「生物死」である。息を引き取り、この世からいなくなることである。しかし、その前にたとえば認知症になったりして頭脳が機能しなくなったときも、これは前段階としての死と考えられる。なぜなら、すでに人間らしい生活はできなくなっているからだ。これを「脳死」などと呼ぶ。そしてこの前に、前述したように、現役生活から引退し、家族も失えば、たとえ健康だろうと人間は死んでいるに等しい「社会死」がある。もちろん、この三つが同時に起こることもある。
このように思っていたら、「いまやデジタル時代ですから、社会死はなくなりました。
なぜなら、デジタル上では人間は死なないからです」と言われて驚いたことがある。そうして、勧められてSF映画『トランセンデンス』を観た。この映画は、ジョニl・デップ演ずる科学者のウィルが、彼の死後、妻によってスーパーコンピュータにアップロードされ、想像もしなかった進化を遂げていくという物語である。
っまり、ウィルは死後もデジタル上で生き続けるのだ。しかも、映画では、デジタル生命体となったウィルの頭脳や意識が進化を遂げていく。そうして、最終的に〃神の領域″へと近づいていき、元の彼ではなくなってしまうのである。
このように、デジタル上で生きる人間は、本当にかつてと同じ人間と言えるのか?彼の進化は人類の進化なのか?それとも破滅なのか?などということを、この映画は、私たちに問いかけている。