花見正樹のストレス・エッセイ
家庭ストレス-3
古い男が描く家庭の理想像は、時代劇などでみるように、夫が玄関に入ると、妻が三ツ指をついて頭を床に伏して、「お帰りなさいませ」と出迎えるというスタイルです。だが実際は、「ただいま!」と声をかけても、せんべいなどかじりながら「お帰り」と素っ気なく応じて視線はそのままテレビに釘付け、亭主の存在など眼中にない。これが一般的な主婦・・・などとは絶対に口には出せない。だから、こそこそと万年筆で小さく書いてみて、あわてて周囲を見渡したりする。この世の中、女性を敵にまわしたら命が幾つあっても足りないし生きる甲斐もない。
それにしても、「お帰り」でも返事があればいいほうで、「おかえりなさい」は年末の賞与が出た日ぐらいなもの、「おかえりなさいませ」などはった映画のシーンでしかお目にかかれない。
しかし、この件については妻の不実を責める前に、亭主たる己の行状を省みる必要もある。
酔ったうえでのご帰還でタクシー料金を払わせるのは序の口で、コートをどこかに忘れた、靴が片方ガブガプカだったり、上着が他人のだったり、寿司の折詰が潰れていたり、Yシャツに口紅がついていたり、パンツが裏返しだったなど、酔ったうえでの出来心で何も覚えていないと訴えて執行猶予になったとしても夫の威厳は損なわれて、その結果が「お帰り!」なのだ。しかも、テーブル上の冷えたコンビニ弁当に顔を向け、顎をしゃくって「めし!」、食事が終わって一息ついていると、「ふろ!」と追い打ちを掛けてくる。
古き良き時代に男の専売特許だった「めし」「ふろ」の常用語はいまや女房族に奪われている。その上、「する」と言われても、すでに戦意を喪失した夫族はただただ白旗を掲げて許しを乞うだけだから、ますます冷遇されるが、あれもこれも「因果応報」なのだからここは耐えるしかない。
だからといって、そのまま泣寝入りをして妻の横暴を許すのも癪だから風呂場で一人呟いてみる。
「いちいちうるさい! だから、どうしたって言うんだ。嫌ならとっとと出てけ」
ところが、ふろ場近くにある洗濯機に汚れ物を入れに来た妻の地獄耳がそれをキャッチする。
さっとふろ場のドアーを開けて、「あーた。出てけって、誰に言ってんの!?」
思わず、「自分に言い聞かせてたんだ」などと言い、着替えもそこそこに外へ飛び出したりする。
こうならないためにも、男は毅然として昼も夜もノルマを果たせる威厳と体力を維持しなければならない。そのためには、スクワット、腕立て伏せ、階段昇降、速足散歩など涙ぐましい努力も必要なのだ。だが、その努力が報いられる保証はない。
だとしやら、やはり会社の帰路は、仲間となじみの店で酒を酌み交わしグチを肴にハシゴ酒、財布も空になりコートは忘れ、上着は他人のを着てタクシーで帰宅、「オーイ、タクシー代!」、これで元の木阿弥、取り戻しかけた亭主の威厳は再び地に堕ちて、もはや挽回の余地はない。