『新選租銘々伝』郷里での啓之助-2

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は2018年6月1日発行の160号からの掲載です。

信州松代市 道中記
『新選租銘々伝』郷里での啓之助-2

稲葉春義 満里子

大出氏からの『新選組銘々伝』の執筆には、〝-史実を根幹におき、著者の感情を駆使した隊士の伝記を〃 このど指導をくみとり、少々自分なりの自由な解釈もゆるされるとかんがえ、するとなんとなく肩の荷もかるくなったようにかんじた思いがありました。大出氏の因島での執筆厳命の平成十四年六月から翌十五年一月十日まで、原稿初稿、再稿、再々稿‥また写真提示校正と-ようやくOKとなったしだい。できあがった印刷文を見て、ただびっくりするのみ。
しかし、これほどに執筆内容に目をとおしてい
ただき、はずかしくもあり、冷や汗とともに感謝の念でいっぱいでした。
一、資料から浮かび上がる三浦啓之助の人物像。
二、三浦啓之助の墓碑で四国松山へ行ったことから、さらに資料をもとめること。
三、生まれ故郷の信州松代で啓之助を知りたい。
この三点をなんとかむすびつけたい。その思いをもとに、はじめての長野県松代ゆき準備にかかった。

「新選組銘々伝」に関する飼料

 長野県松代市には、松代藩士佐久間象山に関係があることから佐久間家に関する資料が残されているとの思いで最初に、観光案内所のパンフレットより電話をすると、応対のかたがこの記念館には、佐久間象山の遺墨、遺品など展示しておりますが、文献資料は以前ありましたが、いまは〝松代藩文化施設管理事務所″に、松代藩、真田家の施設管理をまとめており、本部は真田宝物館内にあり、事務所の電話番号を紹介していただき、さっそく電話、利根川氏というかたに松代藩士佐久間象山の息子である佐久間烙二郎についての資料を知りたいとお願いした。すぐさまFAXで、平成十三年十月十一日付で、送信枚数六枚とともに、〝烙二郎のお墓関係はP155~、上段から下まで記載があります〃云々のメモとともに送ってくださった。のちにわかったことだが、田中誠三郎『真田一族と家臣団1その系譜をさぐる』信濃路、からの抜粋で、すぐさまお礼の電話をすると、「他にも資料はあり、一般公開には、真田宝物舘(ここで初めてこの宝物館を知り、のちに多大なお世話になる)に申し込んでください。」と、また、「研究のためならば、写真撮影などは予約すれぼできます」と、真田宝物館内の電話と担当のかたを紹介していただき、ほかに恰二郎のお墓の写真もありますといわれ、思わず「えっ」。しかしこの時点では、史跡事典での墓さがしはすでに完了していたため、松代市の佐久間家菩提寺蓮乗寺の墓と思い違いをする。FAXの文面により、三浦啓之助についての新選組関係資料、佐久間家戸籍、伊予松山での墓碑銘などの出典先が前述の著書からであることがわかり、いままでの疑問がはれた。