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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。
力士血風録-2
伊東 成郎
甥の八田五郎左衛門も内山同様、好んで力士たちの面倒を見ていたのだろう。
連行された八陣は八田の取り計らいで放免されたものの、浪速雀の耳目を集めた道頓堀での乱闘事件の悪名は、たちまちに広
がっていった。大坂にいては肩身の狭い思いが募る八陣は、活躍の場を江戸に移した。 安政初年のことだったという。八陣は同門の小剣、小天龍と三人で江戸に入った。
追手風春太郎の門下に迎えられ、順調に場所を送っていたのも束の間、場所六日目の日、八陣はまたもや乱撃事件の主役となる。
現在の中央区新川にある霊岸橋の橋際に、かつて大金という料亭があった。この見世に上がり、飽くることなく飲み食いを続けていたさなか、八陣は突然キレた。相方の酌婦がいささかの無礼をしたというのである。
怒り心頭に発した八陣は、大金の使用人たちと激しく言い合った末、皿や鉢ものなどを掴んで投げつけてきた。そのあまりの
激しさに、やがて地元の鳶が駆けつけてくる。
加勢を知った八陣は障子や襖を蹴倒し、鳶たちの気勢をたじろがせようとした。しかし火事場で百戦錬磨の経験を積み、胆気
のあふれる鳶たちも負けてはいない。八陣の猛烈な攻勢に台所まで後退はしたものの、たまたま銅の壷に煮えたぎっていた熱湯を、八陣めがけて投げかけるという荒技に打って出たのである。
だが八陣は防御にも長けていた。
座敷の畳を軽がると捲り、左手で盾がわりに構えて熱湯を避けながら、右手には鉄棒を振るい、獅子奮迅の勢いで鳶に迫ってきたのである。
恐怖に震えながらも鳶たちは、長梯子で八陣を押さえつけようと必死に挑みかかる。
霊岸橋近辺は、大騒ぎとなった。
戸を閉める家々があるかと思うと、老人や子供たちは泣き叫び、道を逃げ惑い、まるで霊岸橋に芋苗怪獣が襲来したかのよう
なありさまになったらしい。