会津人・藤田五郎もう一枚の写真-6

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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。

故・赤間倭子先生を偲び
会津人・藤田五郎もう一枚の写真-6

 五郎の二男・剛の結婚式が行われた大正2年の2年後に藤田五郎は、永久の旅路へと旅だった。同年に、五郎も助力した東京都北区寿徳寺の新選組供養碑建立に尽力した元・新選組隊士の永倉新八こと杉村義衛も他界したのは多くの方々が知ることである。
八百勘は、婚礼の披露宴が多いので、俗に「婚礼茶屋」とまで呼ばれていた。250人もの客を入れる部屋数があったという。現在では、建物等は跡形もないが、庭石四器のみ現存する。八百勘自体は、江戸末期から大正末期まで営業していたが、今は庭石を残して何の遺構もない。ただ、森鴎外の 『懇親会』や志賀直哉の『和解』、太宰治の『花吹雪』などの文学作品に使われていることなどから著名さは誰もが感じ取れることではなかろうか。それだけではなく、「赤坂八百勘」の絵図は、豊原国重が描いた開化三十六会席にも含まれていた。芸者たちからも、面影を連想することができるが、主に宴会場や結婚式場として使用されていたことは、忘れてはならない。
斎藤一の新たな史料が、続々といろいろなところで見つかっている。その最中、斎藤一を慕い、いろいろと探究されていった赤間倭子先生が他界されたのである。心からの追悼を、もう一枚の藤田五郎の写真の謎を解いたことを赤間先生に捧げたい。(了)