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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。
故・赤間倭子先生を偲び
会津人・藤田五郎もう一枚の写真-5
伊藤 哲也
藤田五郎の写真
藤田一族が写された写真原板に半紙のような薄い古紙をおおいかぶせると、人物に相対して名前が書かれていて、写真に撮影された人物が誰なのかがわかる。古紙の右側には、藤田一族を撮影した場所、年月日、理由が書かれているのだ。この上紙の価値は前述のことからも高いことがわかる。
「大正弐年九月二十八日 東京亦坂八百勘庭
中二於テ結婚記念撮影」
(藤田剛夫妻結婚式記念写真)
大正二年九月二十八日に藤田五郎次男・剛と旧会津藩家老・田中土佐の孫娘である浅羽ユキとの結婚式が東京赤坂八百勘で行われたことが記されているのだ。婚姻届を出したのは、大正三年と戸籍に記されているが。赤坂の八百勘については、次の項目で述べさせていただくこととする。まず写真の上に乗せる古紙に書かれた名前を先に列記していく。
「高木 睦雄
森山 明
沼澤 七郎
愛久澤直哉
藤田 勉
沼澤久仁子
赤埴ヤ翁子
藤田 五郎
小川婦美子
ゆき子
相澤又次郎
剛
浅羽 磯吉
婦之子
井林 菊助」
各人と藤田家の関係は「歴史春秋」という会津若松の同人誌に、私が掲載している。
撮影された場所と遺構
藤田剛夫妻の結婚式が行われた場所と現状について述べていく。八百勘であるが、現住所は、東京都赤坂二丁目八番地の北側
半分である。江戸時代は、黒田家江戸屋敷と江戸城の堀の中間に位置していた。藤田剛夫妻が結婚式を挙げたときの八百勘の住
所は、東京都赤坂区田町六丁目二番地であり、藤田五郎を始めとする藤田家一族、縁者、関係者が記念写真におさめられたこと
に着目していただきたい。