大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。

故・赤間倭子先生を偲び
会津人・藤田五郎もう一枚の写真-4

伊藤 哲也

藤田五郎の写真

 次に、幕末期の京都時代に会津藩御預かりとなった新選組副長助勤・斎藤一の戊辰戦争後について、簡易的な説明を加える。
新選組解体後、山口次郎から一瀬伝八と変名して、旧会津藩士と共に戦い、斗南藩領へ移住時には、斗南藩士にまでなり、藤田五郎と改名している。五郎は三人の男子をもうけている。旧会津藩士と共に城外で戦ったことから、謹慎の罪を共に受けたのは、旧新選組隊士だと清水卯吉のみで、斗南移住や旧会津藩と死ぬまで行動を共にしたことが確認されているのは、藤田五郎一人だけであった。そして、五郎の三人の息子のうち、次男、三男と旧会津藩の高石取りであった家から嫁が嫁ぐまでに格上げされている。五郎の三男のみは、旧会津藩名家・沼澤家に婿養子にいくことになるが、赤間先生が三人の息子のことは、いろいろ調べて発表されてきておられた。

藤田一族集合写真

何故に藤田一族の集合写真が撮られたのかも説明しておかなければならない。
実は、この集合写真は、藤田五郎の次男・剛と旧会津藩家老・田中土佐の孫娘・浅羽ユキとの結婚式での記念写真である。
写真画像を出して名前と照らせし合わせて紹介していきたい。私は藤田家から藤田五郎のみ掲載許可をいただいた者なので、信頼を裏切るようなことばできない。そのため、藤田五郎の抜粋とする予定であったが、赤間先生他界のことや法的に束縛されることがないため、写真はすべて掲載することとする。だが、無断で他誌やインターネットに掲載されることば、前に述べたとおり控えていただきたい。