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新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は平成二十年四月・二一五号からの掲載です。

故・赤間倭子先生を偲び
会津人・藤田五郎もう一枚の写真-1

伊藤 哲也

故・赤間先生と斎藤一

 斎藤一のことを永年、調べてこられた赤間倭子(しずこ)先生が他界された。故・赤間先生というと斎藤一のことを思い浮かべる。斎藤一についてさまざまなものを書き残されてきているからであろう。そして、私は赤間先生が生前の元気な時に、「私が一番、力を入れているのは排句なの!」と言われて驚いたこともありました。しかし、故・赤間先生は、俳句部門で曲水新賞、水巴賞、麻賞などを受賞されているのであるから。
私自身、故・赤間先生の身体が衰えて病で床に伏せる直前に「うら切るも 知る指切りや 冬絡ませ」という句をいただいたことがあった。
赤間先生が斎藤一のことを調べようとして藤田五郎直系の子孫・藤田勉氏に依頼文を出された。すると、藤田勉氏が赤間先生の藤田家訪問前にいろいろと様子を見に来られたことも有名な話である。その後、赤間先生は藤田家と親しくなっていき、斎藤一の遺品をいただいたりされた。その後、藤田五郎の妻の実弟の子孫である高木家の方を紹介していただくなど、輪を広げてい
かれている。藤田家とともに高木家の古資料の提供も受けるなど、主婦業をこなしながら、数多くのいろいろなことを知り得ることができた。現在の斎藤一のデータは、赤間先生なくしては成り立たなかったのは、誰もがわかることである。そして、一生をかけて赤間先生は斎藤一研究に打ち込まれていく。だが、赤間先生が他界された今年(平成十九19年)は、高木家当主が他界して五年、藤田勉氏が他界されて三年、赤間先生の旦那様も数年前に他界されてしまっているのも忘れてはいけないであろう。
藤田勉氏の三回忌の供養には、ご夫人や息子の太郎氏も会津若松市の阿弥陀寺に赴いている。藤田家墓石の修繕は二度行われているが、その時のことは写真込みで、改めて書き直させていただく。
故・赤間先生は、執筆活動に対応して、現地へ見に行かれるなど、さまざまな努力をこなしてこられた。三十一人会での活動だけではおさまらなかったのであろう。また、斎藤一を慕う御心から「斎藤一の会」を立ち上げられたのだから。私はツアーとかには参加せずに、忘年会のみ参加してき。山梨ツアーの時も公的用事が入り、その次に予定されていた二本松は実現できないままに現在に至っている。