土方歳三と榎本武揚の出会い-1

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

未公開資料、平家文書が語る
土方歳三と榎本武揚の出会い-1

永吉治美

一、平家と土方歳三

日野市にある平家は、土方歳三の生家である同市石田の土方家とは、古くから縁戚である。平家のご子孫に伺ったところ、歳三の曾祖母の生家が平家であるという。
歳三は、平家の忠兵衛、作平兄弟と仲がよく、同家によく出入りしていた。また、作平も天然理心流の門人で、嘉永六年には中極位目録を貰っている。天然理心流の位は、切紙、目録、中極位目録、免許、印可、指南免許となつており、中極位目録は現在
の剣道でいうと三段くらいらしい。
同家には歳三が作平に宛てた手紙、歳三の写真、「東照大権現」の幟など多くの品々が残されている。
また平家にはこんな口伝が残っている。
新選組が甲陽鎮撫隊を結成して、甲州勝沼へ向かう時のことである。歳三が挨拶のために慌しく同家を訪ねた時のこと、老刀自が「ちょうどぼた餅を作っているから食べて行きなさい」と声を掛けた。「急ぐから……」とたちさろうとする歳三を、「ぼた餅一つも食っていけないようで、戦争に勝てるか」と老刀自は叱った。仕方なく腰を下ろした歳三は、ぼた餅が出来上がるのを待ち、食べてから出発したという。ちなみに前述した作平が平家の現在のご当主、拙三氏の曾祖父である。
歳三と大変仰が良かったこの作平の息子、忠次郎は、歳三の死後、歳三と縁のあった人々を訪問している。
榎本武揚、勝海舟、山岡鉄舟、後藤象二郎、大鳥圭介、松本良順(のちに順と称す)。
何れも幕末から明治にかけて名を成した人々である。
余談であるが、松本良順は土方、榎本の双方に縁の深かった人物であるので、少し彼について触れたい。
良順は土方より三歳年上で、代々幕府奥医師という家柄に生まれ、終生、新選組の良き理解者であった。良順と新選組の付き
合いは、元治元年十月、近藤が江戸の良順宅へ挨拶に行った時に始まった。その後上京した良順は近藤に請われ、西本願寺の新選組屯所を何度となく訪れた。そして衣食住から衛生、医療面まで様々なアドバイスを与え、面倒を見ている。