ヨダとイサミー幻のツーショット写真-4

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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

ヨダとイサミー幻のツーショット写真-4

伊東成郎

依田と近藤が、同じ江戸の空気を吸っていた時間軸の中に、現在伝えられる写真を撮影した一日が交差していれば、あるいは
依田が近藤の撮影に同行し、ともに記念写真を撮影した可能性も皆無だとは思えません。なにしろ、江戸城中で対話してすっか
り彼らに魅せられた依田は、関東では史上初の新選組ファンになったような人物なのです。
依田貞孝氏が言う「留守居役」就任の記念写真という撮影理由は、依田の同役就任が慶応三年であることから否定されます(新選組全盛時の近藤の江戸入りは元治元年のみです)。しかし、両者がともにカメラの前に立つ可能性は、慶応四年のごく短い
日々のなかに、確実にあったはずです。
返す返すも、昭和女子大学の研究チームが、依田家でその写真を確認しなかったことが惜しまれます。
現存はしていないかもしれない、およそ半世紀前の記録に登場した幻の近藤勇と依田学海のツーショット写真。さらにそこに沖田総司やら原田左之助やらが紛れ込んでいたのなら、さぞ楽しいだろうと思います。
晩年、依田は往年に江戸城で遭遇した歴戦のつわものたちの姿を、幾度となく聞き返した日記の上に連綿と思い巡らせていた
のでしょうか。
なお、岩波書店刊『学海日録』第一巻には、巻頭に若き日の依田学海の全身写真が収められています。帯刀で椅子に座す依田の足元には、市松模様の絨毯が敷かれていました。
土佐の中岡慎太郎から、新選組の谷万太郎まで、あまたの幕末維新の人物を撮影した京都砥園の大坂屋(堀)与兵衛のスタジ
オで撮影された写真です。市松模様の械毯は、ここのトレードマークでした。


そして依田学海の日記には、慶応四年四月一日に、このスタジオを訪れて「真を写」させたとの記述も残されています。この日
の撮影写真と見てよさそうです。
この依田の写真の席数きが、皆さんもご存じの近藤写真に登場する、あの得意な柄の絨毯と一敦すればと、心底思った次第です。