ヨダとイサミー幻のツーショット写真-2

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

ヨダとイサミー幻のツーショット写真-2

伊東成郎

さて、これらの記録の中でやはりもっとも注目されるのは、江戸城で依田が出会った近藤と土方の姿でした。
『学海日録』からご紹介します。
近藤・土方に対面す。
此日 (一月十六日)、新撰組近藤勇、土方歳三にあふ。近藤、去月十八日、伏見にて肩に痛手を負へり。歳三は其手の兵を将(ひきい)て伏見・淀・橋本戦にのぞみ、強の士過半を失ふ。しかれども己は死を脱して之に至るといふ。両人も閣老に謁して再征の議を謀るといふ。極て壮士なり。
敬すべく重ずべし。
よほど印象に残ったのでしょう。依田はこの時の思い出を、後年になってエッセイ集『譚海』にも紹介しています。
皆さんに馴染みが深いのは、『譚海』の記述の方かと思います。同書によれば、鳥羽伏見で近代戦を経験した土方は、このとき「これからはもう、刀や槍の時代ではありません」という名台詞を、依田に語ったとされています。
これ以前の姫神の日記には、慶応二年十二月一日に、人伝に近藤のことを聞いたとする記述をわずかに確認できる以外に、近藤と土方に関する筆記は見られません。おそらくこのときが、彼らとの初対面だったものとみられます。
依田は、譜代藩・佐倉の役人として、将軍家への篤い思いを持つ男でした。京都からぼろぼろになつて敗走しても、なお血気盛んな近藤・土方への依田の敬意は、この短い日記のなかからも、よくうかがえます。
彼らの人間的魅力もさぞかし依田の心に響いたことでしょう。
しかし、依田のスケジュールは急転します。二月十八日、将軍慶喜の助命哀訴の使者の一人として、藩から急きょ、上洛命令
が出されたのです。二十日、依田は江戸を発ちます。そして、十一月十八日に、すでに東京と名を変えた江戸に帰るまで、西国
での長い日々を送ることになります。