桜咲きて-2

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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年九月発行115号から抜粋しての掲載です。

桜咲きて-2
(第二回 勇忌レポート)

結喜 しはや
(京都在住・作家、歴史研究家)

さて、この長流寺は、浄土宗の寺院で伊勢の国の生まれである了蓮社覚誉上人大信和尚の開山となる。慶長十一年(一六〇六)、覚誉上人は、東国布教のために訪れた流山に止まり、村の東南にあった「観音松」と呼ばれる老木の松の下に耳庵を結んで布教したという。そして、翌慶長十二年、本寺である東漸寺の人世霊誉上人により、山号を「宝泉山」、寺号を「長流寺」と称するように命ぜられたという。覚誉上人の在住は十三年間にわたったが、元和五年(一六一九)七月十六日に亡くなった。なお、長流寺は、天保七年(一人三六)十月二十九日の出火により堂宇が全焼し、古文書等一切が失われたといい、同寺が再建されたのは、元治元年(一人六四)のことである。
長流寺再建への年月が、近藤勇が誕生して(天保五年・一八三四)、あの池田屋事件で新選組の名を馳せるまでの年月と重なるなぞと、こじつけて思ってしまうあたりが、もうすっかりマコト人である。同様に考えた方は、来年の勇忌には、出席しなくてはなるまい。さらに付け加えると、長流寺は、流山七福神の一つである恵比寿さまをお祀りしている。となると、参加は決まり、であろう。
今年の勇忌に戻ろう。法要は長流寺ご住職高橋一元師の読経のもと、近藤勇ご子孫(勇の長兄音五郎のご子孫)の宮川豊治氏はじめ、氏の弟さんで天然理心流宗家第九代でいらっしやる宮川清蔵氏、土方歳三家の親戚となる平(たいら)作平(歳三の曾祖母は、平家の出)のご子孫平拙三氏、佐藤彦五郎ご子孫の佐藤福子氏等々の御焼香に続き、参列した近藤勇・新選組を愛する人々のご焼香と、粛々として進んだ。
そして、法会の読経が終わった後、もう一度、高橋師のお導きで、皆が手を合わせ、「南無阿弥陀仏」を十回唱えて、さらなる近藤勇の、ひいては志士たちの魂の安らかなることを祈ったのであった。
こうして、長流寺での法要は終わり、勇忌は講演会へと続くことになる。会場は流山駅のそばになる流山商工会館ということから、長流寺の最寄り駅平和台から一駅分の移動である。長流寺を後にし、発光しているような空の下、途中長岡屋跡(現・㈱秋元)を眺めながら商工会館へと向かった。