わが愛しのヒラメちゃん-3

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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
今回は、平成十七年六月発行114号から抜粋しての掲載です。

わが愛しのヒラメちゃん-3

福島雅子

つい先日のことである。旧くからの友人が、一冊の本を贈って下さった。
『ふるさとが語る土方歳三』で、前述の谷春雄氏と新聞記者の大空智明氏の対談である。その中に沖田の顔についての対談がある。長くなるが引用してみる。
谷(前略)「まだね、親父の俊宣さんが生きているんですよ。俊宣さんは彦五郎の息子で、昭和四年まで生きていますから」
大空「すると、その時は何歳ぐらいですか?」
谷「もう八十近くなつて。その頃ね、豊さんて孫がよくお爺さんの俊宣さんの話を聞いたっていうんです。その頃は晃さんが中学生で(中略){おじいちゃん、沖田総司というのはどんな顔してた?}と聞いたら、お爺さんが {うーん}って考え込んで、{そうよな、沖田総司はヒラメ みたいな顔をしていた}、そういう話をしたそうなんです」
大空「ヒラメみたいな顔って、のっぺ らぼうということですか」
谷「そうじやなくてね、その一族や兄弟の写真や何かを調べてみますと、目の感覚が寄っているんですね」
大空「確かにヒラメの目は左右が寄っ ていますね。でも、あんまりはっきりすると沖田総司のイメージが悪くなりますよ」
谷「いや、それでね、当時、沖田総司のファンが多くて、小説家の大内美予子なんかが沖田総司について書いたでしょう。よく私の方へ遊びに来ていたころで、その話をして大笑い しちゃつてね。それで、それをNHK教育テレビで 「沖田総司の世界」
(筆者註・「偶像の周辺」……昭和四十人年三月九日放送)とかいうのを一時間番組でやったことがあるんです。その時に私が日野にある伝承を少し話をして、それで今度は佐藤さんへ振ったんですよ、どうしてもその話をさせちゃおうと思って。豊さんがやっちゃたんですね、それをテ レビで。
大空「なるほど、それは大変だったでしょう」
谷「それから”ヒラメちゃん”というあだ名になつて大笑いしたんです」
この番組は見た記憶がある。この時であったのか解説を開いたのは。ただ、その時はまるでピンと来なかった。どういう顔なのか想像できなかったし、沖田は美丈夫でなければならないという確固たる信念があった。(今思えば若かった。「冗談新選組」に出会うより数年前のことだ。)