「新選組を創った男の町」ー5(最終回)

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年六月発行114号から抜粋しての連載です。

「新選組を創った男の町」ー5(最終回)

仲井正和
(神奈川県川崎市在住)

駅の貸自転車が休業だったことを話すと、「やっていなかったの?」と呆れていた。せっかく大河ドラマを契機に町おこしをやっているのに、町の玄関である駅が休んでいては仕方ない。
もっとも鹿島鉄道自体が廃止の危機に直面しており、噛み合わない部分があるのだろう。
やがて商工会の方がやってきて、また話を伺う。
この史料館は平成十七年の一月十日までの限定である。私が「せっかくここまで掘り起こしたのだから、町でスペースを設けて展示を続けてはどうですか」と提言すると、個人的には商工会のほうに置きたいとのこと。本当は芹澤家をお借りして展示をしたかったが、家が傷んでいることもあり、断わられたそうである。ご当主は石岡で医者をしておられるそうで、「河童」の縁が続いているのかもしれない。
ガイド氏が周辺を案内して駅まで送ってくれると言う。おみやげに「芹澤鴨の里」という日本酒を買う。除幕式のときに参加者に振る舞われたそうである。休日に業務が集中する仕事をしているので、このような行事に参加できないことが歯痺い。平日ならば見物客も少ないのでゆっくり見ることができるメリットもあるが。
「帰りが『新選組号』だといいね」と館員に見送られて車に乗せていただく。
「川崎からいらっしやつたのならぜひ見てほしい」 と案内されたのが、平間家の墓と石碑である。川崎大師を平間寺というが、平間家はそれに由来するのだという。そのことが碑に銘記されている。
車で周囲を案内してくれる。「ここも平間さん、あそこに見える家も平間さん」と、この一帯は芹揮家は一軒みで、平間姓が多いのだと言う。
さきほど見た 「芹澤城址」 の碑の脇から芹澤家墓所へ行く。顕彰碑に満足して、肝心のところを見ていなかった。
「城主だからいちばん高いところにあるんだね」
とガイド氏。うす暗いところにたたずむ墓石群にかつての豪族の栄華を垣間見る思いがした。また故郷に帰ってきた平間重助は、匿われて生涯を終え、関わった人々も今まで知らぬ存ぜぬを通してきたとのことである。