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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回は、平成十七年六月発行114号から抜粋しての連載です。
「新選組を創った男の町」ー4
仲井正和
(神奈川県川崎市在住)
商店を過ぎると小さな山をとりまくように道が左右に分かれ、右を行くと芹澤家である。かなり広い敷地があるようで、長い塀が続く。一般公開はしておらず、門は閉ざされている。さらに坂を上っていくと「芹澤城址」の碑がある。一帯を支配する豪族であった。
道を戻り、さきほどの分かれ道を左へ行くと法眼寺で、芹澤・平間家の菩提寺である。山門を入って左手に芹澤鴨と平間重助の顕彰碑がある。碑の裏側に私の名前が刻まれているのを確認した。
この碑に募金をするにあたって、ためらうことは無かった。観光協会が「新選組を創設した」という意味において顕彰しようとしている姿勢を評価したかったし、自分自身への反省でもある。私は新選組が好きなのであって、脱走した者、切腹させられた者、すべての隊士に平等でありたい。平等で、というのは無理があるかもしれないが、ここに名前を刻んだことで、釣り合いはとれたと思う。
史料館に入る。「水戸派」ということもあって、伊東甲子太郎や鈴木三樹三郎らの展示もある。二人は現・石岡市の出身である。関連史跡などの写真がパネルにしてあり、団体客を連れてきたガイドが説明をしている。それを聞く。
館員の方に話を伺う。これまで新選組というのは全く省みられてこなかったとのこと。玉造町駅からここまで「誠」の看板が随所にあったが、「誠の看板なんてとんでもない、と言う地権者もいるのです」と言う。いわゆる「水戸派」はことごとくやられてしまったから、地元としてもいい印象をもてるはずがない。