「新選組を創った男の町」-1

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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今回からは、平成十七年六月発行114号から抜粋しての連載です。

「新選組を創った男の町」-1
仲井正和
(神奈川県川崎市在住)

「新選観のふるさと」と言えば、まず日野と調布が思い浮かぶ。
今年の大河ドラマで関係自治体では新選組で町おこしをするべくさまざまなイベントを企画している。なかでも「新選組を創った男の町」というフレーズで新選組関連に取り組んでいるところがある。芹澤鴨・平間重助の出身地である茨城県の玉造町である。
芹澤鴨といえば小説やドラマなどではかなりの「悪役扱い」で、芹澤一派、いわゆる「水戸派」も同時にイメージが悪い。悪いと思っているのは私だけかどうか分からないが、好感を抱いていなかったのは事実である。しかしそれは私が勝手に思っているだけのことであり、相手に対して失礼である。
芹澤鴨は筆頭局長であった。「壬生浪士組」結成当初、会津藩は費用を出し渋り、芹澤が強談判で話をつけた。
それでも足りなければ豪商から借りた。また「八月一人目の政変」で壬生浪士組は御所へ駆けつけたが、存在を知らない会津藩士が槍を突き出してきた。芹澤は鉄扇で槍の穂先をあおいで、これを一喝した。手荒であったが新選組創設にあたって重要な役割を果たしていたことには間違いない。
今まで各地にある新選組の史跡を訪ね歩いたが、玉造町は行っていなかった。芹澤の出身地であるという知識はあったが、史跡としては何もなさそうであったからである。そこへ大河ドラマをきっかけに町が動き出した。顕彰碑の建立、新選組史料館、ほかにイベントを企画しているようだが、何よりも顕彰碑が建立されることが大きな成果である。大河ドラマブームが去っても、碑はずっと残る。
顕彰碑の建立に寄付をした¢で除幕式の通知をいただいよのだが、仕事の都合であいにく行くことができなかった。また新選組史料館はもう少し時間がかかるとのことで、梅雨入りしないうちに行こうと思っていた。
そうしているうちに、鹿島鉄道で「新選組号」が運行されるという情報を得た。ゴールデンウイーク中で仕事の繁忙期であったが、運良く休みが入ったのでとりあえず「新選組号」だけ乗りに行くことにした。顕彰碑と史料館は時間の都合で次回とした。