新選組外伝 第十一話 近藤勇・板橋にて斬首

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新選組と流山

大出 俊幸
(新選組友の会主宰)

新選組外伝 第十一話

近藤勇・板橋にて斬首

上野・東京国立博物館の正門を左に30メートル歩くと、重厚な武家屋敷門が見えてくる。もとは千代田城下・丸の内にあった因州藩邸。慶応四年四月二十四日、岩倉具視(ともみ)の三子・東山道鎮撫(ちんぶ)総督岩倉具定(ともさだ)は夕方、板橋から因州藩邸に入った。岡田家の武術指南役・横倉喜三次(きそうじ)も従った。翌二十五日正午ごろ、板橋より早駕寵があり「御預かりの大久保大和は死罪、ついては横倉喜三次に太刀取りをするように」との使いがあった。
横倉喜三次は急いで板橋に帰った。
刑場となったのは馬捨て場といわれる広場。中央に近藤勇は黒羽重に黒の紋付、羽織を着て座り、下役人が腰綱を持っていた。 近藤の前には穴が掘られ、周囲を監察方をはじめ兵士、牢役人が厳重に取り囲んだ。近隣の屋根の上、土手の上は見物人でいっ
ぱいだった。
横倉喜三次は近藤に最後の挨拶をし「私が太刀取りを命じられました。何か申しおかれることがありましたら承ります」というと、近藤はことのほか喜んで、「君の太刀取りならば何も申しおくことはありません。よろしくたのみます」と言った。
斬首の場面を陰から見ていた勇の甥・宮川勇五郎は「丈の高い方の人は『やっ』というと一太刀で斬りましたが、誠に見事な腕前でした」と語り残している。首が斬られる瞬間、勇の体が立ち上がるようにして前に倒れ、首穴にかかる橋のようになり、穴に落ちた首には血がかからなかった。

参謀北嶋仙太郎は首実検のあと、近藤の首級(しゆきゆう)を白木綿で巻き、アルコール漬けにして箱に入れ因州藩邸に送った。岩倉具定による検分があった。勇の首は京都に送られ、三条河原で三日間梟首(きょうしゅ)にさらされた。勇の首が描かれた号外の瓦版が五月の京の空に舞っていた。