新選組外伝 第十話

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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新選組と流山

大出 俊幸
(新選組友の会主宰)

新選組外伝 第十話

大久保大和は近藤勇であると証言した男

京都東山・天皇家の御  さん
陵で知られる泉湧寺(せんにゆうじ)は錦繍に彩られ、慶応三年、禁裏御陵衛士(きんりごりょうえじ)となった伊東甲子太郎、鈴木樹三郎兄弟(石岡市出身)ら一統が歩いたであろう参道は足音のみが空に吸われて行く。
伊東甲子太郎ら四名は京都油小路で凍てつく冬の夜、近藤、土方側の手によって惨殺されたが、その残党、加納鷲雄(かのうわLお)、武川直枝(もとかわなおえ・もと清原清)が薩摩軍の探索方として、板橋総督府に出陣していた。
流山から越谷を通って板橋本営に送られて来た近藤勇は本陣・飯田新左衛門方に収容され裁判を受ける。あくまで大久保大和と称する人物の首実験役に、抽小路の激闘を生きのびた加納、武川が指名された。それでも近藤は恐い。障子の穴からそっと見ると、果たして近藤勇だ。会うにしても刀を持っていては危ないから、双刀をとりあげてもらい、識役(しきやく)平田九十郎立ちあいのもと近藤の前に出た。
「大久保大和、改め近藤勇、と声をかけますと、近藤は実にエライ人物でありましたが、その時の顔色は今に目につくようで、
はなはだ恐怖の姿でありました」(加納鷲雄談)。
のち、豊田市右衛門方に収容され、岡田家武術指南役の横倉喜三次(きそうじ)の書き残した覚書によれば、近藤勇は足枷(あしかせ)の上、入牢。
流山からついて行った野村利三郎、近藤の助命嘆願の手紙をもって江戸から駆けつけた相馬主計はともに縄を打たれ、別々の牢に収容され、昼夜、厳重に取り締まられていた。
横倉喜三次は、近藤の右肩の傷を気づかって、たびたび近藤のもとを訪れ士道談義を重ねた。近藤は「いろいろお世話になったが、何もお返しすることが出来ない。せめて腰刀を」と感謝のしるしに愛刀を贈った。
いずれ、首斬り役となる横倉に、この刀で首を刎ねてもらいたいという暗黙のサインを送ったのだった。
(文/大出俊幸)
近藤勇と新選組隊士供養塔(寿徳寺管理・北区教育委員会提供)