大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。
新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組友の会ニュース発行者・大出俊幸
〒270-0116千葉県流山市中野久木572-44
電話0471-53-3506 友の会入会希望者はお問い合わせください。
新選組と流山
大出 俊幸
(新選組友の会主宰)
新選組外伝 第七話
浅間神社に翻(ひるがえ)った菊の御紋旗
今年の「広報ながれやま」山月一日号に載った恩田家文書は、全国の新選租フアンに衝撃を与えた。これにより、流山での新選組の動きがより鮮明になつてきた。長岡屋に向かった兵たちは浅間神社裏手に「御かんぐん(官軍)方大将、菊の紋付きたるはた(旗)お(押)し立て陣取り、江戸方へ(の)本陣長岡の方へ大砲をむけ置く」と新選組を包囲した。
思えば半年前、慶応三年十月十三日早朝、岩倉具視(ともみ)は子の具定(ともさだ)と八千丸を公家・中山忠能(ただやす・明治天皇の祖父)邸に使いに出した。中山は元服前の八千丸の下着の背中に書類を縫いつけ帰るように言うが、八千丸が門を出たところに新選組が見張っていた。が、子どもだから、と見のがしてしまった。その文書は「徳川慶喜をてん戮(てんりく)せよ」と書かれた偽の詔勅だつた。この長州藩にあてた詔勅を届けるべく、大久保利通(としみち)、広沢兵助らが大坂から出
する直前、大八車に緞子(どんす)を積んで祇園一力のおゆう(大久保の愛人)が駆けて来た。
大久保は緞子を山口の諸隊会議所の二階に運びこみ、長州の学者・岡??春に錦の御旗を作らせた。
日月を表す錦旗と菊の御紋旗十りゅうは一ケ月後の鳥羽伏見の戦いに天皇旗として翻った。そして、中山邸に使いに行った兄・具定はいまや新政府東山道軍の総督として板橋にあり、先鋒・香川敬三隊が、岩倉・大久保の策謀によって作られた三メートル六十センチの菊の御紋旗を押し立てて浅間神社に陣を敷いたのだ。
(文/大出俊幸)
ー錦旗赤地菊紋牡丹誓文様緞子(仙台市博物館提供)