第三回 東軍慰霊祭-7

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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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東軍慰霊祭の想い出

郡 義武

第三回 東軍慰霊祭-7

我が4号車のメンバーは、高橋悦子、後藤美津江、斎藤直樹、箕輪徳子、大久保慎太郎夫妻、吉地厚生、釣洋一、それに私とガイドの江尻さん。コースも私の作成したものと大幅に変更された。
先ず、市内中島1丁目の西軍上陸地へ。西軍参謀山県狂介(有朋)の詠んだ「越の山風」の一首の碑がある。

次に、西福寺へより「維新の時鐘」を見る。
さらに駅北の如是蔵博物館を見学、悠久山公園の長岡城を模した「郷土資料館」へよる。名調子の案内は、館員の金子女史。園内の「松山亭」で昼食。名物の〝ニシン定食+三色団子〃がおいしい。食事しながら亀川純一氏(継之助を偲ぶ会)の話を聞く。ここだけのマル秘情報あり。
「継之助と正妻の間には実子はなかったが、江戸遊学時代の隠し子、利根之介は公知である。
が、この度、備中松山遊学時代の隠し子が見つかった。(やはり、遊学だった)ナント、子孫が長州は萩市で〝ガンコ屋〃なるソバ屋をやってるとか。但し、迷惑なので、絶対に探訪など行かぬように……」との面白い話。
資料館前で記念撮影し出発。17号バイパスを妙見~榎峠~朝日山を目指す。ジャンボタクシーは登れないとのことで、2合目の浦柄神社へ寄る。会津藩士11基の中央に時山直八の墓があるという珍しいもの。
タクシーは信濃川を渡って対岸の三仏生へ、遥かに朝日山を望む。臨席の大久保夫人ほ好奇心旺盛、「なぜ新潟が戦場になったのか?」「遺体と死体の違いは?」などと鋭い質問を連発し、私の残薄な知識は枯渇する。