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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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東軍慰霊祭の想い出
郡 義武
第三回 東軍慰霊祭-1
平成6年10月8日(土)
小千谷・慈眼寺
祭主‥小島慶三 実行委員長‥船岡芳秀
講演‥石原和昌 事務局‥大出俊幸)
第一日 10月8日(土)晴
上野発7時50分「あさひ」507号で出発。
休日で行楽シーズン、車内はほぼ満席。生活に疲れた中年男は、すぐ居眠りにおそわれ、夢こどちで回想する。
それは今年の「歳三忌」の四次会の席上だった。人使いの上手な大出さんより、「次の慰霊祭は長岡・小千谷です。雷神隊の子
孫として、郡サンに案内役をお願いします。但し、やるからには、去年の山本博司先生に負けずに勉強して下さい」 ゝ
と、半ば要請、半ば命令である。
このような場合、大出氏は辣腕の新人物往来社編集局長に変貌し、秋霜烈日、反論は全く許されない。(知ってる人は知っている。後でこ
の話を聞いた菊地明氏、ウン、ウンと大いにうなずく)
私は元々、頼まれるとイヤといえない性質である。これは、幕末京都所司代を引き受け火中の栗を拾った、桑名藩伝統の悲しいサガなのか。
悩んでいる内にニケ月過ぎ、七月末、森清書子先生の出版記念会であった大出氏、開口一番、「長岡ツアーのガイドブック、早く作成して下さい」矢は弦を放たれた。
そして、今年の夏の盆休み、記録的猛暑の白昼、猫の子一匹通らぬ、埃っぼい長岡の裏通りを、汗水たらしてさすらう中年男がいた。何故
か、突然、西部劇「真昼の決闘」を想い出した。
が、ゲイリー・クーパーの保安官のように格好よくはない。
栄涼寺(地元では、何度聞いてもイーリョーズ)から長興寺を回って駅前へ。市役所市史編纂室の稲川明雄氏と会い、ツアーの打合せをす
る。同氏日く、「よく慈眼寺で、できますね。重要文化財だし、本堂の床が抜けるとかで、今まで殆ど断っていますよ」、ここでも、大出氏の凄腕に感心する。