東軍慰霊祭の想い出
郡 義武
第二回 東軍慰霊祭ー5
去年の慰霊祭でヒンシュクをかった山本英市氏は、今回自粛され、借りてきた猫のごとし。(実は、大出氏の密命により、私が、「本日は何卒穏便に」とけん制したのが功を奏す)が、代わりはいるもので、かわりに大声を発したのは、神山茂郎氏(茂の息)。幼時より畑の柿ひとつとらずに、会津武士の伝統を守ったと力説。
さらに元気良かったのが、南部の爺サマ杉原亨三氏(盛岡藩家老子孫)。当年88才。今回出席者の最高齢。古武士然とした方で、入歯の具合が悪いのか、大声で発声のたびツバキが飛ぶ。
「桑名藩も先が読めないが、盛岡藩はもっとヒドイ。ガハハハ……」そのたびに、バッパパ。
その間、20分、私の手を堅く握りつばなしで、もがいても脱出できないのだ。最後にお流れ頂戴して別れたが、その昔、関ケ原前夜、大谷
継の鼻汁が落ちた大杯を黙って飲干した、石田三成の心境もかくやと思われた。
三次会は民宿「ひじかた」へ集合。大出俊幸、長谷川つとむ、釣洋一、山本博司、山本英市、島津隆子、安田則子(島津女史友人、旅行家)、森田ゆき(島津女史友人、画家)、広瀬るみ(札幌、クリニック院長)、の諸氏でまたまた大いに盛上がる。夜9時過、福岡からの永富治美、日立の清水理恵、ら若い女性も到着。手にライトを持ってる人もいる。聞けば、暗夜の「碧血碑」訪問をしてきたという。思い込んだら、命がけ……。
次々と話題はつきず。歴史、旅行、食べ物、森田女史と映画の話(これがまた、「商船テナシテー」(34)「望郷」(36)など、古いのばかりだ)まで、お姉様方相手に盛り上がる。特に安田サンは、小柄だが、女だてらに単身、ガダルカナル島に暮らしたことがあるという、世の中怖いものなしの古狸だ。
11時、この宿は満員御礼とのことで、釣、山本(博)、私の3名は近くの旅館「喜多美」へ移ることにする。(「ひじかた」宿泊は大出氏以外全員女性とのこと、ダイジョウブか?)
旅館でまた飲直しながら、明日の予定などを打ち合わせ。山本氏より、箱舘新選組に入隊した桑名藩士石井勇次郎の「戊辰戦争見聞略記」
の評価を聞き、発見者としては嬉しくなる。いつのまにか酔いつぶれて寝る。