東軍慰霊祭の想い出
郡 義武
第二回 東軍慰霊祭ー4
主な挨拶、紹介者は次の通り。
榎本揚武(榎本武揚の子孫)
小嶋慶三(永井蟻伸舞子孫、参議院議員)
長谷川つとむ(日大教授、会津梶原平馬子孫)
山本英市(会津・西郷頼母子孫)
神山茂郎(会津・神山茂子孫)
杉原亨三(盛岡藩桑田理事長)
中居俊(〝副理事長)
合田一道(北海道新聞社)
村井雄一郎(古銭研究家)
小井田武(大野地方史代表)
石橋藤雄(開陽丸青少年センター理事)
山本博司(北海道幕末維新史代表)
釣洋一(新選組研究家)
島津隆子(歴史作家)
村井氏の話、「榎本ブヨはただのゴロ合わせ。榎本のニセ金も、手のこんだ加圧型鋳物で、五稜郭で簡単には作れない。すべて明治新政府のデッチ上げです」との嬉しい話。
続いて、小井田氏の話は、チヨットユニーク。「ティタ話ケンド、ヒズカタトスゾウハ、ココデスンズマッタンダ……」(大受け)
私もウトウトしていたら、突然、大出氏に指名された。赤穂浪士は360人が47人、桑名藩士の新選組は1800人が20数名となった。さらに「一に衝鋒、二に桑名、三に佐川」の東軍強者番付が桑名でほ順番が逆になる。という話でお茶を濁す。(やや受け)
懇親会は護国神社内の「汐見亭」。会場差し回しのバスで5時着。途中、隆仙氏の案内あり。汐見亭はその名の如く、海を見下ろす高台にあり、函館湾の眺望が見事だが、内部もかなり立派。入口に「歓迎、人物復来社御一行様」の看板あり。(マ、イイか)
隆仙氏の音頭で乾杯。〝酒飲みとかけて、奴豆腐と解く。その心ほ、初め四角で後はグチャグチヤ″……。旅の恥は掻き捨て、というが、
とにかく大いに盛上がる。いろいろな人達と歓談したが、特に記憶に残るエピソードを少し紹介。
先ず、榎本ご夫妻。揚武氏大正4年生まれ、78才、気品ある老紳士。昔は酒豪、シルクロードに興味あり。戦前は近衛兵で2・26事件にも
出動。その後、日本郵船勤務で諸国歴訪、英米独日、四カ国の空襲を受けた経験があるという国際派。その話の途中、側に控えし美人の奥様
(美大卒)がチョコチョコとフォロー。すかさず、「あなたは黙っていなさい!」とピシャリ。これを度々繰り返すのが、なんとも微笑ましい。(平成11年11月9日逝去。墓は東京駒込吉祥寺)。