第二回 東軍慰霊祭ー3

東軍慰霊祭の想い出

郡 義武

第二回 東軍慰霊祭ー3

近くの函館八幡宮へ参詣し、タクシーで新選組や先祖の関川代次郎も守備した弁天台場へ向う。が、何も無い。巨大なクレーンが立つ函館
ドッグ前に、昭和34年建立の白木の碑のみ。ここから背後の函館山を振り仰ぐ。新政府軍が奇襲した七面山とは右の高台か、などと考えつつ、待たせてあったタクシーで高龍寺へ。
「傷心惨目」の碑などカメラに収めて、釣先生の発案で横山松三郎(近代写真術先覚者)の墓を釣氏と手分けして探す。山腹に階段状になっ
た広い墓域を駈け回る。あった、左手奥の雑草に覆われた小さな墓だった。
時刻は正に正午、時間がない。外人墓地はあきらめて、船見町の称名寺へと急ぐ。受付を済ませ、隣の実行寺へも寄る。称名寺は箱館新選
組の屯所で、戦争終結後も隊士が収容されていた所で、妙に懐かしい感じがする。しかし、実は、歳三らがいた頃は、道路の向かい側にあっ
たが、明治12年の大火後に現在地に移ったものだという。
司馬遼太郎『燃えよ剣』のラストは、歳三の恋人お雪が、日照雨の降るなかを、称名寺へ墓参りにくるシーンである。しかし、この日は、
日照雨も降ってなかったし、私は「お雪」みたいに歳三の碑に取りすがったりはしなかった。
(大体、函館でほ日照雨など滅多に降ったことがナイという)

午後1時より本堂にて法要。ここで、大切に持参した歳三の位牌(「お仏壇の長谷川」で作成した、自前の特別製)を取り出しチャツカリ
と、〝魂入れ〃もお願いする。50数名の参会者があり、須藤隆仙住職の読経、小島慶三氏(日本新党・参議院議員)の祭文奉読、焼香と続く。
司会は高橋昌弘氏(南北海道史研究会)が努める。
隆仙師はフツーの住職ではない。「南北海道研究会」を主宰し、図書館古文書講師、函館文化財審議委員、さらに、刑務所の教詭師を努め
る、など、多彩多忙な住職である。歴史関係の著作も多い。
最後に地元の宇佐美城峰氏(錦城流師範)の吟詠があった。

碧血碑        宮本小一作

戦骨全く収まりて 海勢移る 粉華誰か復た当時を記せん
鯨風鰐雨 函山の夕 宿草茫々たり碧血碑
(明治34年8月)
この詩碑が碧血碑の側にあると言うが、気がつかなかった。
休憩後、講堂にうつり、懇親会。榎本揚武氏初め来賓の挨拶。さらに、遺族紹介と続く。その後、長谷川つとむの講演「伊庭八郎、箱舘に
死す」となる。