東軍慰霊祭の想い出(1)-6
郡 義武
次にお会いしたのが、会津史学会会長の宮崎十三八氏。早速、「東京会津会」にさそわれ、本日は参加してないが、郡荘一郎氏(会津藩家
老、抗戦派の責任をとり切腹した萱野権平衛の子孫)も喜ぶという。権兵衛の長子で同じく16歳で切腹した郡長正の話になった。なぜ萱野か
ら郡になったのか、私の質問に「母方の姓を名乗ったと、聞いてますが、今度調べておきます」との返事だった、が、間もなく、逝去されてしまった。
また、同じく会津の西郷頼母子孫(正確には、実弟の山田陽次郎)という、山本英市氏も紹介された。この人、やや酒癖がワルイのか? 私と話している最中も、度々立ち上がり「勝てぼ官軍、負けれぼ賊軍!」と咆哮する。
さらに、三次会ほ上野駅周辺は何処も満席なので、御徒町へ流れ流れて、居酒屋「八起」。ここまでついて来たのは、釣氏はじめ殆どが新選組関係の顔なじみぼかり、約30名弱。ここで、記念の集合写真をとる。
後で写真をよく見ると、釣洋一、菊池明、山村竜也、を初め、名古屋からきた柿内昭二や林昭二郎サン、さらに小林明子、高橋悦子、野田
雅子、岡田裕子ら、懐かしい(若々しい?)顔が写っていた。後日、清水理絵、京都からきた結害しはや、長田由美子らも慰霊祭には出席し
たと言い張るが、写真には写ってないので、三次会は来なかったようだ。
大出氏も初めての大任を無事こなし、肩の荷下ろして一安心の様子。ここからはみんな新選組の話に戻って、大いに盛上がる。相変わらず、山本英市氏の酔声が響く。誰か(私ではない)が、頼母はズルい、一人で逃げた? みたいな、言ってはいけないことを言った。英市氏顔を真っ赤にして、反論。これがしっこいので一座は少しシラけた。
ここで、天然理心流・瀧上鉄生剣七世から、丸い袖印と特別に手作りのハチガネを頂く。実戦にも使えるという立派なもので、今は亡き瀧
上氏(平成18年逝去) の形見として大切に保存し、居合いや剣舞をやるときに愛用している。